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知恩院の正式名称は、知恩院大谷寺と号します。山号は華頂山です。本尊は法然上人像(御影堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基は法然です。知恩院で有名なのは、開基の法然はもとより、大晦日に撞かれる除夜の鐘です。知恩院の大鐘楼は日本三大鐘楼の一つで、親綱を引く僧侶と17人の僧侶が子綱共々に綱を握り鐘を撞く姿は、大晦日のテレビ中継では欠かす事の出来ないシーンです。

知恩院

知恩院の三門は偉容を誇る

 知恩院の歴史

知恩院の起源は開祖の法然が、比叡山の黒谷で修行を積み、唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して、承安5年(1175年)、43歳の時に下山して、東山吉水(現在の知恩院勢至堂付近)に、営んだ草庵をその起源とします。「専修念仏」とは、「南無阿弥陀仏」と声高くただ一心に称えることにより、すべての人々が救われるというものですが、当時の仏教は沢山の教典を読み、厳しい修行をして、「悟り」を会得した者だけが浄土に行ける、と言った考えが支配していたので、旧仏教側から激しく糾弾されました。

法然は建永2年(1207年)には讃岐に流罪となり、4年後の建暦元年(1211年)には許されて都に戻りますが、吉水の房は荒廃していて、青蓮院の慈円の援助で大谷の山上にあった南禅院に入りました。しかし翌年の1月、80歳で没しました。

知恩院石段

室町期に知恩寺との間に浄土宗の本寺争いがありましたが、正親町天皇の綸旨により、知恩院が浄土宗の本寺に認められました。寺域が拡大したのは徳川家康が深く浄土宗を信仰したためで、多くの諸堂や塔頭が設けられました。知恩院は徳川期になってから多くのお堂が建てられたため、応仁の乱などの戦火に合う事もなかったので、建設当時のままのお堂が残っている、京都では珍しい大きな寺院です。

三門から本堂へ向かう急な石段。
途中で休憩をしないと息が上がる。

  知恩院の散策

知恩院知恩院の印象を一言で言うと、スケールの大きさです。まず三門に向かうと、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚にもなる堂々たる木造建築として我が国最大の楼門で、上層部中央には霊元天皇の宸筆「華頂山」の勅額があります。楼上内部は、仏堂となっていて、中央に釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像が安置されているほか、天井や柱、壁などに天女や飛龍が極彩色で描かれています。普段は非公開ですが、特別拝観の時には、観覧が許可されています。

御影堂の屋根は急勾配で威圧感がある。

知恩院三門をくぐり、男坂を登ると左手に御影堂が見えてきます。「大殿」とも呼ばれる建物は、法然の御影を祀ります。御影堂も迫力のある建物で、急な勾配の瓦屋根は観る者を圧倒します。内部の本陣には本尊の法然上人座像、東脇壇には阿弥陀如来立像、善導大師、五上人像、西脇壇には徳川家康、秀忠、家康生母の伝通院の座像が安置されています。

御影堂の南東に建っている
経蔵の屋根は優美な形をしている。

この他にも経蔵、阿弥陀堂、大方丈、唐門など、目を見張る建物が多く、一日中いても飽きる事が無く、時間が足りなくなる思いがします。

知恩院へのアクセス

〒605-0062 京都市東山区林下町400番地

Tel.075-531-2111(代)

京阪四条駅より徒歩で約10分

三門前駐車場

乗用車 約45台(9:00~16:00の台数)

1時間以内500円、以降30分ごと200円

※9:00以前、16:00以降は約20台のみ駐車可能です。

ホームページ  : http://www.chion-in.or.jp

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