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深草は京都市の東南部、伏見稲荷から伏見桃山に掛けての東山連峰の西麓一帯を指し、東の山を越えると山科に入り、西に向かうと竹田、国道一号線に行きます。多くの住宅が建ち並び、人口密度の高い地域ですが、古来は低湿地の人が住むのが困難な地域でした。

    深草の歴史

藤森神社は地域の産土神として信仰を集めている

藤森神社

京都盆地は元々湿潤な土地で、特に現在の四条通りから南は低湿地でした。現在でも京都の地下水系には、琵琶湖に匹敵するぐらいの水が蓄えられているといわれています。深草を含む伏見は、その豊富な地下水系から、元々は「伏水」と表記されていましたが、時代が下って「伏見」に変化しました。その豊富な地下水系のおかげで、多くの酒造メーカーが出来ました。この豊富な地下水系を持つので、「伏水」と呼ばれるようになりましたが、深草も同様に、地下水系が関係しています。深草のフカはフケダ゙と同じで、泥田・深田を指し、クサはフサ・フシ・フセと同じで水辺の低浸地を指します。つまり「深草」は、現在の京都市北部の深泥池のような沼地であったところから来ています。その為、この地から発掘される縄文土器からは、水辺で漁労をおこない、背後の山中に入って狩猟をおこなうことをうかがうことが出来ます。深草は泥炭地の地層のため、沢山の粘土質の土壌があり、土器を産出するのが容易でした。

京都教育大学京都教育大学は師範学校が前身

奈良朝時代になると土師氏が来て、この地の粘土を用いて土器を作成していました。深草はその頃紀伊郡に属し、深草郷と呼ばれていました。紀伊郡は、紀氏一族が勢力を占めていたので、その氏を地名に当てたと考えられています。紀氏とは神武天皇の時代に、紀伊の国造になった天道根命を祖とする古代豪族で、奈良時代に朝廷でも活躍しました。蘇我氏は紀氏と同族で、秦氏を配下にもち、国家財政を掌握して、各地にその勢力を延ばしました。紀伊郡深草もその一つで、先住民をその支配下にし、紀氏と共に地盤を築いたと考えられています。そして秦氏が住み着き、稲荷ノ神を祀って農耕守護神とあがめ、深草一帯を開発しました。先に記したように、深草の知は低湿地帯で、開発するのは困難を極めましたが、彼らは克服して肥沃な土地となし、収獲物の貯蔵所たる屯倉を設けて莫大な富をもたらしました。平安時代には深草は藤原氏の荘園となり、その一族の山荘別荘が多くの寺院とともに造営されました。文禄年間になり、豊臣秀吉が伏見城を築くと、深草は京都と伏見をむすぶ街道の要衝となり、道の両側には様々な店が軒を並べ、稲荷の門前町と共に栄えました。1898年(明治31年)には、陸軍歩兵三十八連隊が設けられ、次いで1908年(明治41年)に第十六師団司令部が設置されると軍人街となり、多くの兵舎や練兵場などが建設されました。しかし、敗戦と共に陸軍は解隊され、軍関係の建物は学校や病院・アパートに転用されました。

    深草の散策

青少年科学センターは京都の子供なら必ず訪れたことがある

青少年科学センター深草には観光名所はさほど多くはありません。その中でこの地域の中心となるのは、藤森神社です。創祀は古く、平安京が出来る前からあったとされています。早良親王の東国平定などにより、勝運の神として、また合祀された天武天皇の皇子、舎人親王が『日本書紀』の編纂者であることに因み、日本最初の学者を学問の神様として祀っています。境内にはそれを顕彰する碑があります。境内は広く清浄に保たれ、地域の産土神として信仰を集めているのが分かります。本殿は1712年(正徳2年)に御所の賢所を中御門天皇から賜ったもので、現存する賢所としては最古のものです。他にも舞殿、絵馬舎などがあります。また、菖蒲の節句の発祥の地とされています。勝運の神として信仰を集めていることから、騎馬に関連して馬を大切にし、それに関する物が多くあります。中央競馬の騎手のサイン色紙なども展示されています。藤森神社の東に位置しているのは、京都教育大学です。前身は1876年(明治9年)創立の京都府師範学校で、1944年(昭和19年)設立の京都青年師範学校を包括し、翌年新制京都学芸大学を設置しました。1966年(昭和41年)に京都教育大学に改称し、学芸学部も教育学部に改称しました。2004年(平成16年)に国立大学法人となりました。文字通り京都の教育を背負う人材を数多く輩出してきました。

師団街道とは時代がかった名称

師団街道標識ここから西に数百メートル行くと、南北に貫く道路があります。通称「師団街道」です。先に書いた通り、深草にはかつて第十六師団司令部があり、それに伴い兵舎や練兵場などが建設されました。敗戦に伴って軍関係の建物は学校や病院・アパートに転用されたと書きましたが、通りの名称としてその名残をとどめています。道幅は決して広くなく、南行き一方通行ですが、京都市内と奈良を結ぶ主要な道路で、交通流量も多いです。特に朝夕の通勤時間帯は、非常に混み合います。軍関係の建物が転用された主な施設には、旧国立京都病院(現京都医療センター)や聖母女学院があります。病院は建て替えられて原形はとどめていませんが、聖母女学院の本館は、第十六師団司令部をそのまま使用していています。1908年(明治41年)に完成した煉瓦造り銅板葺二階建ての建物は、レトロな雰囲気を醸しだしています。内部はほとんど当時のまま使用されていて、元師団長室の暖炉は大理石製で、高級感が漂います。深草を訪れたなら、行ってみたいのは京都市青少年科学センターです。1969年(昭和44年)5月に開館した、子供に科学の楽しさを知ってもらうことをモットーにした施設です。ここでは展示品を並べるだけでなく、実際に器具を触って実験したり、砂漠の暑さを体験したり、科学の不思議を楽しめます。また、2007年(平成19年)にリニューアルしたプラネタリウムは、コンピュータグラフィックによる宇宙旅行が楽しめます。他にも子供に人気の恐竜の動態模型があり、家族連れで楽しむことが出来ます。

深草へのアクセス

京都市地下鉄「竹田駅」周辺

周辺の観光・宿泊

観光地: 城南宮 伏見稲荷 醍醐寺

宿泊施設:アーバンホテル京都 料亭旅館清和荘