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五条大橋は国道一号線でもある五条通りの鴨川に架かる橋で、交通流量の多いところです。橋の袂には牛若丸と弁慶がここで出会ったという伝説をモチーフにした石像があり、修学旅行などの観光バスで訪れる際には、バスガイドが必ずそれを説明しますが、あくまでも伝説であり、実際に出会ったのは別のシチュエーションであったと言われています。いくら牛若丸が身軽でも、橋の欄干から反対側の欄干に飛び移るのは無理でしょう。

   五条大橋の歴史

五条通りは京都交通の大動脈

五条大橋

五条大橋はよく知られているように、昔の松原橋がこの橋に変わりました。それはかつて五条坊門(今の松原通)に架かっていたのを天正年中に豊臣秀吉が方広寺の造営にあたって伏見との交通の便を図るためその下流の六条坊門(今の五条通)につけ替えたのがこの橋の起りで、名もそのまま五条橋と呼びました。このため五条橋は松原橋と呼ばれるようになりました。元の五条橋(松原橋)は、平安時代後期には清水寺への参詣道に当たるため、清水寺橋と呼ばれていたり、橋の修理にあたっては、清水寺が修理や管理のための費用をまかなうのに、橋銭を徴収していたので、勧進橋とも呼ばれたりしました。またここには「長棟堂」と呼ばれる施設がありました。これは癩病などの患者を収容する施設で、京都の異界との境である鴨川の河原に死者などの「穢れ」の対象者が置かれていたことを指し示します。

牛若丸と弁慶の石像は京人形師が原型を作成した

五条大橋 牛若丸と弁慶五条橋は市内と伏見をつなぐ橋で、もとは木橋でしたが正保2年(1645年)石造に改造し、擬宝珠高欄付となりました。その後、鴨川の氾濫や寛文2年(1662年)の地震などで破損したこともありましたが、その都度修理されました。現在の橋は昭和34年(1959年)三月の改修によるもので、橋の長さは67メートル、幅員35メートル、連続式鋼板桁とし、橋脚は鉄筋コンクリート造りになりました。御影石の高欄、青銅の擬宝珠は、今もな昔ながらの面影をとどめています。それまでは幅員はもっと狭かったのですが、第二次世界大戦のときに空襲で火災が発生して、大規模な火災になるのを防ぐために五条通りの道幅を広げたのに合わせて、橋の幅員も広げました。

  五条大橋の散策

扇塚は昭和35年に有志の人々によって碑を建てられた

五条大橋 扇塚五条大橋は、単に国道一号線でもある五条通りに架かる橋ですので、さほど見るべきところがある訳ではありません。それでも子細に見ていけば、幾つか見るべきところがあります。橋の西袂にあるのは、最初に紹介した牛若丸と弁慶の石像です。この像は、1961年に、京人形師である岡本庄三さんに京都青年会議所が原型を依頼し、京都市に寄贈しました。そのため、若武者牛若丸と荒法師弁慶が愛くるしい石像になったのはこのためです。青年会議所に寄贈を申し込まれた京都市ですが、当初は受け取りに難色を示しました。というのは、前年に社会党委員長である浅沼稲次郎氏が演説中に青年に刺殺されるという、日本中に衝撃をもたらした事件があり、各地で「刃物追放運動」が展開されていました。刀を片手に持った弁慶の像が好ましくないとの理由でしたが、最終的には京都市は受領しました。しかしこの像は橋のすぐ袂にある為、間近に鑑賞することが難しいのが現実です。バスや乗用車に乗って、信号待ちの状態で運良く近くに止まることが、近くで見物する最適の手段です。橋の欄干にある擬宝珠には、橋の謂われや歴史が彫り込まれています。そのひとつには「五条大橋は、五条通の戦時建物疎開跡に幅五十米の道路となり、昭和二十七年国道に指定されてから、京都交通動脈の様相を帯びてきたので、ここに現代技術と美の粋を集めた長さ六十七米幅三十五米の銅桁橋として架橋された」と刻んであります。他の擬宝珠には別の謂われが彫り込んであり、それらを読んでいくのも楽しいです。

擬宝珠には様々な文字が掘られている。

五条大橋 擬宝珠橋の西袂には扇塚があります。塚の横には『扇塚の記』と記された顕彰碑があります。この碑は昭和35年(1960年)三月、有志の人々によって碑を建てられました。これには「扇は平安時代の初期この地に初めて作られたものである。ここ五条大橋の畔は時宗御影堂の遺跡であり、平敦盛没後その室本祐寛上人によって得度し蓮華院尼と称し寺僧と共に扇を作ったと言い伝えられている。この由緒により、扇工この地に喧伝されるに至った。いまこの由来を記して顕彰する。」とあります。御影堂は正しくは新善光寺という時宗の寺で、蓮華院尼が扇を作った後も扇に関する故事があり、後嵯峨天皇在位のとき、そのときの住職が後嵯峨天皇の病気全快の修法を加持し、扇に冗文を封じて宮中に献上したところ、平癒したことから、扇を作ることで寺の資産が増えました。この扇は拍(阿古め)扇といい、また御影堂扇または久寿扇と言われましたが、御影堂は第二次大戦中、五条通の強制疎開によって堂舎をとりこわし、滋賀県木ノ本町へ移転しました。

五条大橋へのアクセス

京阪電鉄「清水五条駅」下車

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