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神護寺は京都市北部にある高雄山の山腹にあって、紅葉の名勝である高雄にあります。そのため、秋になると紅葉狩りに訪れる観光客でごった返しますが、ゴールデンウイークにも書院で行われる「宝物虫払行事」に、多くの観光客が訪れます。お目当ては、日本人なら誰しも歴史の教科書で目にしたことがある「源頼朝像」や「平重盛像」が展示されるからです。しかし近年、この「源頼朝像」や「平重盛像」の肖像画が別人である、との論争が持ち上がり、話題になっています。

神護寺金堂横の不動明王像は、なかなかの迫力

 神護寺の歴史

神護寺がある高雄山には、高雄山寺と呼ばれる寺がありましたが、愛宕五寺の一つ高雄山寺は、和気氏の氏寺として創建されたといわれています。延暦年間(782~806年)、和気一族の清麿が宇佐八幡の神願を果すために伽藍を河内国に建立し、薬師如来を安置して神願寺と号しました。長岡京や平安京の造営に尽力した清麿が延暦18年(799年)に没すると、高雄山寺に墓所が造られ葬られます。弘仁元年(810年)唐から帰国した空海(弘法大師)は高雄山寺で、初めて鎮護国家の密教修法を行い、清麿の子である真綱・仲世兄弟の信任を得ます。弘仁3年(813年)、空海は高雄山寺に灌頂壇を開き、金剛界の灌頂を最澄、和気真綱・仲世兄弟ら四人に授けます。空海は高雄山寺で、初めて鎮護国家の密教修法を行い、嵯峨天皇の信任を得ます。その後、和気仲世は寺を空海に譲ります。清麿が創建した神願寺は、低湿の砂地にあり、密教壇場にはふさわしくないので、真綱・仲世等が高雄山寺と寺地を交換することを請い、天長元年(824年)にこれが許されてこの地に移建し、寺号を神護国祚真言寺、つまり神護寺と改めました。空海が高野山に入ると、その高弟眞済はその跡をついで伽藍を造営し、仁明天皇の御願によって境内に宝塔を建て、鎮護国家の道場となりました。

神護寺 金堂金堂は七間五面、単層で入母屋造の本瓦葺だが、痛みが目立つ。

ところが、久安5年(1149年)、諸堂が焼失してしまいます。仁安3年(1168年)、再興を発願したのは、文覚でした。文覚は空海の信仰者で、神護寺の荒廃を見て再興を決意します。草堂を建てて薬師如来を安置し、納涼殿を再建して空海の御影を掲げ、護摩堂に不動明王像を安置しました。上人を中興の祖と仰ぐのはこれによります。しかし、応仁の乱や戦国時代での戦火により所領がことごとく奪われ、天文16年(1547年)に細川晴元によって、諸堂が焼失してしまいます。しかし豊臣秀吉が天下統一すると、一乗寺村の二十八石が秀吉から神護寺に寄進されます。そして晋海が再興を徳川家康に発願して、旧来の寺領二百六十二石の返還を受けます。だが明治維新を迎えると、神仏分離・廃仏棄釈によって寺領は没収され、官有地になってしまいます。明治19年(1886年)には、和気清麿を祀っていた護王神社が京都御所の西隣に遷座してしまいます。しかし讃岐八栗寺の龍暢や大阪太融寺の寂照が諸堂の修理や清麻呂墳墓の改修、地蔵院の再興などに力を尽くし、昭和4年(1929年)には、谷内清巌が、京都の山口玄洞や内貴清兵衛らの尽力を得て、諸堂を整備しました。

  神護寺の散策
神護寺 多宝塔

多宝塔は金堂の背後にあり、昭和九年の再建。近づくのが困難だが、予約すると拝観できる。

高雄山寺は愛宕五寺の一つであったので、山の中腹に位置し、山門前の石段は急な登り勾配になっています。息を弾ませながらたどり着くと楼門前に拝観受付があり、入山料を支払って楼門を潜ると広い境内が広がっています。京都市内とは思えない静寂さに包まれていて、ゆったりとした時間が流れています。入ってすぐ右手に、書院があります。書院では毎年五月一日から五日まで、「宝物虫払行事」が行われていて、普段は落ち着いた境内も多くの拝観者で賑わいます。この行事は寛永14年(1637年)の「虫払定文書」の故事にならって、昭和29年から行われています。空海が残した『灌頂暦名』や後白河法皇の『紺紙金字一切径』など、貴重な寺宝がありますが、とりわけ有名なのが藤原隆信筆といわれる絹本着色源頼朝・平重盛・藤原光能像三幅で、特に源頼朝像は日本人なら誰でも知っていると言っても過言でないほど有名です。しかし、一部研究者からこの三幅の肖像画の人物について、違う人物であるとの指摘が出ています。その人物とは足利尊氏・直義・義詮の三者ではないかと言う説です。この説は絵画的見地及び歴史学見地から推察されています。これに対する反論もあり、決定的な決着は付いていません。いずれの説が正しいにせよ、見事な肖像画であることに変わりが無く、一度現物を見る価値は十分にあります。書院を西に進むと石段があり、その石段を登ると鐘楼があります。この鐘楼は元和年間、所司代板倉勝重の再建ですが、鐘楼にかかる銅鐘は貞観17年に鋳造されました。内部には高さ150センチ、口径62センチの鐘がありますが、普段はそれを見ることは出来ません。この鐘は橘広相が序詞を作り、菅原是善が銘を撰び、藤原敏行が書いたもので、古来三絶の鐘と称されるほど有名です。

神護寺 文覚上人墓中興の祖とされる文覚上人の墓だが、わりと質素。

その奥には金堂があります。金堂は七間五面、単層で屋根は入母屋造の本瓦葺の建築で、昭和九年山口玄洞が寄進しました。堂内奥には本尊薬師如来立像や十二神将・四天王像が安置されています。他の寺院では堂奥に進むことは難しいですが、ここではそれが可能で、これらの像が間近に見ることが出来、どれも見ても見事な像で、しばし時間を忘れて拝観できます。金堂下方に毘沙門堂があります。堂内には本尊毘沙門天立像をはじめ、愛染明王坐像及び薬師如来坐像を安置されていますが、毘沙門堂には入ることは出来ません。その南西には大師堂があります。大師堂は納涼房ともいい、もと弘法大師の住房でしたが、今の堂は桃山時代の再建されたものです。正面は三間、側面は右五間、左四間とし、単層で屋根は入母屋造、柿茸の住宅風の建物です。正面厨子内に安置する板彫弘法大師坐像は、正安4年に仏師法限定喜が土佐金剛頂寺の像を模刻した半肉彫です。鐘楼の西北の斜面を登っていくと、高雄山頂に神護寺中興の祖、文覚上人墓があります。お墓は五輪石塔で、その四隅に石の礎盤が残っていて、かつては覆屋があったと推察されます。隣には後深草天皇々子性仁法親王の墓があります。この墓の場所まで行く道は距離のある獣道で、斜面も急で登っていくのに息が上がりましたが、たどり着くと京都市内が一望でき、時間を掛けて登ってきた甲斐があります。

神護寺へのアクセス

〒616-8292  京都市右京区梅ケ畑高雄町5

TEL  (075)861-1769

JRバス高雄・京北線で約50分、山城高雄下車徒歩約20分

駐車場  : 駐車場なし

拝観時間  9:00~16:00

拝観料金  : 大人500円  小人(小学生)200円

その他詳しくはホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://www.jingoji.or.jp

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