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蚕ノ社がある天神川三条付近は、住宅や工場が密集していて、交通量の多いところです。嵐山や嵯峨野、金閣寺に向かう道が集約されていて、渋滞することも珍しくありません。最近は京都市地下鉄が出来て、交通の便が良くなりました。その中にあって蚕ノ社は、京福電鉄嵐山線の蚕ノ社駅で下車して北へ行くこと約五分、右京区太秦森ケ東町にあり、天神川三条から少し入ったところにあるので、非常に森閑としています。蚕ノ社は木嶋神社本殿横の蚕養神社の別名です。

蚕ノ社 石碑

この石碑がいつからあるのか分からない。

 蚕ノ社の歴史

木嶋神社は双岡の南方、太秦の東にある肥沃の地に鎮座する旧郷社で、境内には老杉巨樹が鬱蒼と茂り、遠くから眺めるとあたかも木の島のような感じがするので、このような社名となったものと思われます。正しくは木嶋坐天照御魂神社といい、一般的には『蚕の社』として知られています。これは境内摂社に蚕の社(蚕養神社)があって、木嶋神社よりこの方が一般に信仰されているからです。木嶋神社の創建は古く「続日本紀」によれば、文武天皇の大宝元年四月に「山背国月読神、樺井神、木島神等の稲を今より以後は中臣氏に給え」という勅が出ているので、それ以前の鎮座であることが推定されます。当社はこの地に上古から住んでいた民が五穀豊穣を祈って、高皇産霊神を祀ったものと思われますが、一説には社名に因んで天照御魂命すなわち天照国照彦天火明命ともいわれ、他にも説があるようで定かではありません。かつては葛野郡では有数の大社として、延喜式では名神大社となり、数度に及び相嘗祭、祈雨祭を行いましたが、特に祈雨の神として崇敬を集めました。社前にある池は、祈雨の祈りを捧げるときに用いられたと推測されます。

蚕ノ社 三面鳥居かつては三面鳥居にも水が満ちていたが、住宅化によって枯れてしまった。

本殿右にある蚕養神社は、蚕の神を祀っています。太秦は秦氏が開いた土地で、大陸から様々な技術をもたらしましたが、養蚕もその一つで、近くに帷子ノ辻(かたびらのつじ)がありますが、ここは取れた絹糸で浴衣びらを作っていたことから、帷子ノ辻と呼ばれるようになりました(但し、異説あり)。このようにこの地は平安京に於いて、絹糸産業の工業団地とも言えます。これに因んで祀られたもので、養蚕機業家や製糸家が古くから信仰しています。また末社の三十八所神社には三井家の祖といわれる三井越後守高安命を祀る顕名神社、承久の乱に当社境内で戦死をしたという院の武士、三浦胤義を紀った魂鎮神社や、この附近に祀られていた椿丘神社等を合托しています。

蚕ノ社 拝殿拝殿も綺麗に手が行き届いている

本殿の西側には、元糺の池があります。元糺の池はよく見ると一つの池ではなく、楕円形の池が三つあるのが分かります。この池の一番北にある池には水が無く、ここには有名な通称三角鳥居とか、三面鳥居とか言われている鳥居があります。大和岩雄氏の説によると、鳥居の三つの角の二つは、松尾山と稲荷山を指している、とされていて、それが正しければ稲荷神社がここに勧請されてもおかしくありません。また、松尾山は大山咋神を祀っており、大山咋神の父は大年神で、稲の実りの神なので、その意味でも稲荷神社があってもおかしくありません。ここにも嘗ては水が湛えられていたようですが、住宅が多く造成された影響で、今日では枯れてしまいました。鳥居の下には大人の男性なら何とか持てる程度の石が積まれていて、これは石坐と思われます。この中央には玉串が立てられて、現在でも神事が行われているのが分かります。池では夏の土用丑の日に、手足を浸して厄よけとする神事が行われていて、下鴨神社の御手洗神事と同様であると思われます。この池は元糺の池と呼ばれています。これについては、社全体を元糺の森と言いますが、これは木嶋神社で行われていた「糺す」神事を下鴨神社に遷したので、下鴨神社の森を糺の森と呼び、当社の森を「元糺」としました。三面鳥居はどうして三面あるのか、色々と説がありますが、定まった云われは決まっていません。ここでは諸説があると述べるにとどめます。

  蚕ノ社の散策
蚕ノ社 提灯

本殿両脇の提灯には葵の葉が描かれている

蚕ノ社こと、木嶋神社は嵐電蚕ノ社駅を出て、歩いて五分ぐらいのところにあります。境内はさほど大きくありませんが、大きな樹木に囲まれて、森厳とした雰囲気があります。入ってすぐ左手に、稲荷神社があります。訪れるまでは、木嶋神社に稲荷社があるとは、思っていませんでした。稲荷神社の鳥居の奥に、短い参道と小さな祠があります。祠はさほど新しくありませんが、小綺麗にされていて、人の手がよく入っているのが分かります。参道を進むと拝殿があります。拝殿はオーソドックスな形式で、天井画や絵馬はありません。拝殿奥には、本殿があります。本殿前には石段があり、石段は七段あります。石段右に石碑が埋め込まれていて、それには「東亜縮縮緬仲間」とあります。右に年号か刻んであり、「文化十年」と読めます。文化十年と言えば西暦で1813年になり、江戸時代の末期になります。どのようないわれでこの石碑が埋め込まれたのか、詳細は分かりませんが、縮緬業の株仲間が古来から養蚕業が盛んだったこの地の氏神に、奉納したのかもしれません。石段をあがると本殿があります。本殿は境内同様、大きな建物ではありませんが、清潔感があり手入れが行き届いているのが分かります。両脇に提灯が下がっていて、紋を見ると葵の葉が描かれています。葵はよく知られているように、賀茂社の紋です。これはこの地を支配していた秦氏と鴨氏との繋がりから来ています。下鴨神社の瀬見の小川西側にある摂社、河合神社の祭神は、賀茂別雷命の母である玉依姫命で、元は秦氏の祭神で、賀茂氏が秦氏の婿となり祭祀権を譲られた関係からと見られています。本殿左の三面鳥居とその前の池には、全面に柵が設けてあり、安易に近づくことが出来ません。本殿同様、神事を司る領域であることから、このような環境にしてあるのだと思います。

蚕ノ社は、京福電鉄の駅名になるほど有名な神社ですが、大きく取り上げられることはありません。しかし、小さいながらも森厳とした雰囲気は、神社という本来の神域の性格を持っているのかも知れません。

蚕ノ社へのアクセス

〒616-8092  京都市右京区太秦森ヶ東町50番地

TEL  (075)861-2074

京福電鉄嵐山線の蚕ノ社駅から徒歩5分

駐車場 : 専用駐車場なし。 : 近くのコインパーキングをご利用下さい。

拝観時間  : 特になし

拝観料金 : 無料

公式ホームページはありません。

蚕ノ社周辺の観光・宿泊

観光地: 広隆寺 仁和寺 龍安寺 太秦

宿泊施設: リノホテル京都 京都ブライトンホテル 京都ガーデンパレス
宿屋西陣荘