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勧修寺は京都市南西部、栗栖野の南、山科勧修寺仁王堂町にあります。亀甲山と号し真言宗山階派の大本山で、世に勧修寺門跡として知られています。市内中心部の喧噪から離れ、静かな地域にあります。その為若干交通の便は良くありませんが、落ち着いた環境で参拝出来ます。

    勧修寺の歴史

宸殿は屋根瓦の姿が美しい

勧修寺 宸殿

勧修寺の寺歴は古く、創建は昌泰3年(900年)と伝えられています。醍醐天皇が生母藤原胤子(宇多帝女御)の菩提を弔うため、胤子の祖父にあたる宮道弥益の居宅を改めて仏寺となし、天皇等身の千手観音像を安置し鎮護国家の道場とされたのが起りで、天皇の外祖父藤原高藤の諡号をとって勧修寺と号し、承俊律師をもって関山としました。延喜5年(905年)には定額寺に列せられ、皇室と藤原氏の援助を受けて栄えました。天慶5年(942年)大僧正雅慶(宇多皇子敦実親王子)が長吏に補せられてから済範法親王(山階宮晃親王)に至るまで、三十余代ことごとく法親王が相継いで入寺します。世に勧修寺門跡と称され、すこぶる寺格の高い寺となりました。天永元年(1110年)に七世長吏となった寛信(1084 - 1153)は藤原高藤八世の孫・藤原為房の子で、東寺長者、東大寺別当などを歴任した人物です。「勧修寺法務」とも称された寛信は真言密教の事相に通じ、真言宗小野流の一派である勧修寺流の祖とされています。往時は寺域も広く、現在の京都市山科区勧修寺一帯 を領するほか、各地に広大な寺領をもち、建武3年(1336年)の「勧修寺寺領目録」に よると、寺領は加賀国郡家荘をはじめ、三河、備前など18箇荘に及んでいました。伽藍も壮麗でしたが応仁の乱で焼亡します。秀吉の伏見築城にあたっては、伏見街道を造るに際し境内地を削られるなどして寺域を縮小され、近世は寺運は衰退します。天和2年(1682年)済深法親王(霊元皇子)が入寺して再興をはかり、また徳川氏の寺領寄進などによってようやく旧観に復するを得ました。現在の主なる建物はそのときのものになります。

勧修寺 本殿本殿はガラス戸越に本尊の千手観音像が見える

勧修寺は門跡寺院なので、江戸期に再興されたときは、天皇の旧殿を下賜されているものが多いのが特徴です。宸殿は明正殿ともいわれ、元禄10年(1697年)に明正天皇の旧殿を賜わったものと伝えられ、上段の間には附書院・床・違棚を設けて、正面には山階宮晃親王の染筆になる額を掲げています。書院は宸殿と同じく明正天皇の旧殿を賜ったものと伝えられています。単層、屋根は入母屋造、こけら茸で、内部は江戸初期の書院造の典型とされています。特に一の間の違棚は典雅な技巧で知られ、世に勧修寺棚と称されています。襖絵は土佐風の華麗な極彩色書からなる「龍田川紅葉図」、「近江八景図」などがあり、いずれも土佐光起の筆と伝えられています。本堂は御願堂とも呼ばれています。寛文年中(1661~1672)寛俊大僧正(当寺二八世)が霊元天皇より仮内侍所を賜わって建立したもので、本尊千手観音像は醍醐天皇等身像と言われています。庭園は氷室池を中心とし、地中に大小の中島を配した池泉舟遊式の庭園で幽遼静寂の雅趣に富んでいます。この庭園は応仁の兵火後荒廃し、また秀吉によって破壊されましたが、貞享年間(1684~1687)沙門祖音が古図により、藤原時代の庭園様式をまねて再造したものされています。因みに氷室池を「延書式」にかかげる「栗栖野氷室」といわれていますが、同氷室は愛宕郡に属し、現在の北区西賀茂氷室町を指します。勧修寺はかつて宇治郡に属し、同郡には氷室は一個所もありませんでした。にもかかわらず、この様な誤りが生じたのは勧修寺の北を栗栖野と称する地名によるからと考えられます。

    勧修寺の散策

写真では分かりにくいが、庭園は丁寧に手入れがされている

勧修寺 庭園道路に面する勧修寺の入り口から入っていくと、長い回廊のような白い漆喰の壁が続きます。そこを抜けると門があり、少し離れて受付になります。受付の右手は寺の玄関となりますが、御所の車寄せに大変似ています。門跡寺院なので明正天皇の旧殿を賜わったときに、一緒に移築されたのかもしれません。そのことを受付で尋ねましたが、分からないと言われました。受付で拝観料を支払い、門を潜ると右手に宸殿があります。神殿の正面入り口は開かれていて、中の様子が少し分かります。見上げると正面に扁額が掲げられ、それには「明正殿」と書いてあります。本堂の入り口は開いていますが、ガラス張りの戸で仕切られていて、本尊の千手観音像の姿がうっすらと見えます。宸殿同様正面頭上には扁額があり、それには「勝福院」とあります。氷室池には先に書いた通り、二つの中島があります。大きい方の中島には石碑がありますが、中島に渡ることは出来ないので、何が刻み込まれているのか分かりません。池は蓮の花や燕子花が咲き、池の周囲には様々な樹木があります。庭園の樹木の向こうには山科の山並みが見え、いわゆる借景となっています。

氷室池は借景を取り入れ、奥行きを演出している

勧修寺 氷室池散策していて気になったのですが、手入れが行き届いているところとそうでないところの差が目立ち、それが不思議に感じました。道路から山門に向かうところにある白壁の漆喰は、奇麗に塗られています。白壁を維持するのは大変で、小さな土倉を塗り直すのにも、建て売り住宅を建てるのと同じくらいの費用が必要なので、それを思うとこれを維持するのは大変なお金が必要だったと推察されます。それと宸殿や本殿の扁額は奇麗に色彩されていますが、建物本体や屋根は痛みが目立ちます。門も同様に痛みが進んでいます。金閣寺や清水寺のような有名観光寺院なら、それらの費用を捻出することはそんなに難しくないかもしれませんが、有名とは言い難い勧修寺には、それらの費用を捻出するのは至難の業なのでしょう。

勧修寺へのアクセス

〒607-8226  京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6

TEL (075)571-0048

地下鉄東西線小野下車 : 徒歩西へ6分

駐車場  : 自家用車40台分 無料

ホームページ  : 公式ホームページはありません

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宿泊施設: アーバンホテル京都