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烏丸通りは、北は今宮通から南は久世橋通に至る京都の幹線道路で、途中、京都駅で中断されていますが、全長約6.6キロに渡る道路です。かつては自動車の流量が激しく、常に渋滞が起きていましたが、1981年(昭和56年)5月に地下鉄烏丸線北大路~京都間が開業されてから、渋滞の頻度は良くなりました。丸太町より以南はビジネスストリートの雰囲気が強いですが、それより北では大学などの教育機関が多く、雰囲気が変わります。現在では京都の南北に貫く幹線道路ですが、平安京の昔は、烏丸小路と呼ばれた幅員の狭い路でした。

烏丸通りは、京都のメインストリート。

烏丸通り     烏丸の歴史

碓井小三郎の『京都坊日誌』には、平安京が出来る以前から、京都の中心部に烏丸川という川があったとされています。この川は、「一条より南流し、冷泉に至り、西折一町にして室町より南流し、四条に至り、更に西折二町にして西洞院河に入る」とあり、一条から四条西洞院辺にかけて流れていたとされています。同誌は続けて、「按ずるに、此の河、水源賀茂川なり。応仁乱後より天正一統に至る間に、河身の付巷へありて、小河に水を落し入れ、遂に鳥丸河を廃するに至れり」とあります。現在の京都には、東に鴨川、西に桂川の他に小さな小川があるぐらいですが、かつては堀川は今と違い水量が豊かでしたし、現在では通り名としてしか残っていない今出川や夷川も川として存在していました。烏丸も烏丸川に沿って出来た通り名として残りました。では「カラスマ」という名称は、どこから来たのでしょうか。これも川が関係しています。「カラスマ」は川原(カワラ)洲(ス)際(マ)が語源で、川原の砂州に沿った所となります。昭和50年代の地下鉄工事で砂層が出てきて、烏丸綾小路で弥生時代の住居遺跡が発掘され、川原洲があったことが確認さています。しかし「カラスマ」になぜ「烏丸」の文字を当てたのかは、よく分かっていません。

烏丸北大路

北大路通りから烏丸通りを撮影。
遠く京都タワーが見られる。

平安時代の烏丸通りは烏丸小路と呼ばれ、幅員は12メートルぐらいでそんなに大きな道路ではありませんでした。しかし、一条から三条にかけては、御所に近い関係で、藤原氏一族の邸宅が軒を連ねていました。当時の藤原氏は、権勢を欲しいままにしていた一族で、彼らの邸宅も現在の大寺と同じくらいか、もしくはそれよりも大きな邸宅を構えていました。その為、御所が火災などで焼失すると藤原氏の邸宅が里内裏として使われていました。しかし、その烏丸小路も、応仁の乱で状況は一変します。都は焦土に帰してしまい、乱の終息後、一条東洞院にあった内裏の付近には「禁裏六丁町」が造られましたが、まだ戦国期には、烏丸小路の一条から二条の東西両側に、荒涼とした風景がありました。状況が変わったのは、戦国期が終わった頃からで、特に豊臣秀吉が天正期に行った都の土地整理で、今出川から丸太町間では公家屋敷が並び、さらに町家が軒を連ねるようになりました。

烏丸 京都御所

右手が京都御所で、左手が同志社大学。かつてこの辺りは、地区名を烏丸と呼ばれていたが、秀吉が千本一条西に移転させた。

徳川家康も、慶長初年に東本願寺と寺内町の寺地を烏丸六条の地に与え、それまで五条通までしか整備がされていませんでしたが、烏丸通りの南伸を七条通まで進めました。江戸の「宝永の大火」によって、幕府は禁裏御所と公家町を拡大させます。鳥丸通の今出川から丸太町間にある町家を撤去し、公家衆屋敷を増築させました。立ち退きさせられた町屋の多くは現在の川端二条あたりに移ります。川端二条の南東方向に「新東洞院町」などの町名があるのは、そのときの名残です。しかし、この時でも烏丸通りは幅員の狭い、小路ほどの道幅でしたが、明治10年(1877年)に京都駅が開業してから、七条以南にも道路ができ、道幅も広くなり、京都のメインストリートなりました。

烏丸の散策

四条通り付近は新しいビルの建設がよく行われている。

烏丸 四条通り付近烏丸通りは、丸太町から北と南で通りの雰囲気が違ってきます。通りを北から南に歩いて見ていきます。最北端の今宮通り付近では住宅街ですが、少し南の北大路通りに面すると、雰囲気が変わってきます。以前はこのあたりには大きな商業施設は無かったのですが、北大路ビブレが出来てから地域の雰囲気が少し変わりました。しかし丸太町通りまでは、北から順に大谷大学・同志社大学・平安女子大学などの教育機関や、相国寺・護王神社・日本聖公会聖アグネス教会などの宗教施設が多くあり、どちらかというと、静かな雰囲気があります。丸太町から北で一番目立つのは、なんと言っても京都御苑で、面積約63haもある広大な敷地はかつて京都に都が置かれていた証左であり、また京都市民の心の拠り所にもなっています。詳しいことは『京都御所』のページをご覧下さい。丸太町を南に下がると、ビジネス街の様相を呈してきます。オフィスビルが目立つようになり、ビジネスマンの姿が多くなります。二条通に行くと薬問屋が多くなります。これは烏丸二条を東に入ったところに『薬祖神祠』があり、その関係で薬品関係の会社が目立ちます。二条を少し下がると、京都国際マンガミュージアムがあります。このミュージアムは、2007年に日本で市民作った最初の小学校である龍池小学校を廃校した跡に出来た、マンガ専門の博物館です。収蔵書籍は豊富で、入場料を支払えば無料で閲覧できます。詳しくは、『京都国際マンガミュージアム』のページをご覧下さい。

烏丸通りは東本願寺付近で急カーブしている。

烏丸通り 東本願寺付近四条通りに行くと、交通量が多くなります。ここは京都市地下鉄と阪急電鉄の駅があり、ビジネスや買い物に向かう人たちで、いつもごった返しています。また、四条烏丸の東北角は長刀鉾町で、その町名が示すように、ここは祇園祭になると長刀鉾が建てられます。鉾が建てられて祇園祭の山鉾巡行が近づくと、夕方6時からこの辺りは歩行者天国になり、乗用車の通行が止められて歩くのもままならないほど鉾の見物客が訪れます。七条通り近くになると、通りの西側に東本願寺があります。東本願寺は慶長7年(1602年)に徳川家康のバックアップにより、現在の西本願寺から分裂する形で誕生しました。東本願寺の通り向かいには、日本各地から東本願寺に参拝に来られる信者の方が利用される宿泊施設が、数多くあります。他にも仏壇や仏具を販売しているお店も多数あります。また、東本願寺のすぐ南の京都タワーは、別名「東本願寺のローソク」の異名があります。京都駅を越えて、八条から久世橋通りまでは、住宅が目立つようになります。

烏丸通りは丸太町以南になると、街の変化が激しく、しばらく訪れないと新しいビルが出来ていて、驚くことがよくありますが、丸太町以北ですと街の表情が穏やかで、なんだかホッとします。ゆっくり散策を楽しむなら丸太町以北が良いでしょう。

烏丸へのアクセス

京都市地下鉄烏丸線に乗車すると便利です