建仁寺

詩文に秀でた僧を輩出した「学問面」

京都で一番の歓楽街、祇園の南にありながら境内は静観としています。また近隣住民の憩いの場となっています。

建仁寺法堂

法堂は仏殿もかねています

建仁寺の歴史

建仁寺は、臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号は東山です。本尊は釈迦如来、開山は栄西です。栄西は13歳で延暦寺で得度した後に南宋に渡航して、臨済宗黄龍派の虚庵から印可を得て帰国します。帰国当初は九州で教義を広めていましたが、叡山の僧侶に迫害を受け、『興禅護国論』を著して禅宗の末法性・国家性を強調して天台宗僧侶に対抗しました。1199年(正治元年)に鎌倉に下って寿福寺を建立しました。1202年(建仁2年)、鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、東山綾小路に一宇を建立して、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺です。栄西はまた中国からお茶の種を持ち帰り、お茶の栽培や、喫茶を日本に伝えました。寺の一角にはこれを顕彰して茶碑かあります。栄西は一般的には「えいさい」と呼ばれることが多いようですが、寺伝では「ようさい」になっているようです。

建仁寺三門

三門は「望闕楼」と名付けられています

創建当時の建仁寺は今の四条通りから南は松原通りまで、西は大和大路から東大路にわたる広大な寺域がありました。土御門天皇は勅願寺として、年号によって建仁寺の号を下賜しました。当初は延暦寺との関係を考慮して、延暦寺の末寺という形を取り、止観院・真言院を置いて天台、真言、禅の3宗並立でしたが、宋から来朝した大覚禅師が第11代として入寺して以降、兼修禅を廃止して禅宗寺院として確立しました。室町期に足利義満が五山制度を設立すると、第三位となりました。また建仁寺は、詩文芸術に秀でた禅僧を多く輩出、五山文学と称される文芸を作り出したところから、「建仁寺の学問面」と呼ばれました。

建仁寺の散策

建仁寺大雄苑

方丈前庭の枯山水様式の大雄苑。波の模様が美しい

建仁寺の正面玄関に当たるのは、寺域南にある勅使門です。勅使門は天皇を迎えるための門で、建仁寺に限らずお寺の正門は勅使門である事がほとんどです。勅使門を抜けると三門(山門)があります。この門は「望闕楼」と名付けられています。これは「御所を望む門」と言う意味で、楼上には、釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。三門を抜けると法堂が見えます。かつては三門と法堂の間に仏殿がありましたが、火災で焼けてしまい、再建されることはありませんでした。法堂も何度かの焼失に逢い、現在のは明和2年(1765年)に再建された建物で、仏殿もかねています。また平成14年には創建800年を記念して、小泉淳が双龍の天井画を描きました。建仁寺の龍雲図は、他の京都五山の雲龍図に比べて、描き方がリアルで少し趣が違います。他の寺では雲龍図は撮影禁止になっているところがほとんどですが、ここは禁止されていないようで、自由に撮影できました。

建仁寺茶碑

栄西を讃える茶碑がある。栄西は喫茶を日本に伝えた

法堂の奥にある方丈は、法堂よりも大きく、もとは安芸の安国寺にあり、安国寺恵瓊が1599年(慶長4年)に建仁寺に移築したもので、本尊は十一面観音菩薩像です。各室には桃山時代の海北友松の水墨襖絵がありましたが、1934年の室戸台風で被害が出て、掛軸に改装されて、京都国立博物館に寄託されています。現在は京都画壇の重鎮だった、橋本関雪が描いた襖絵を見ることが出来ます。また方丈前の庭は大雄苑と称され、簡素な作庭になっています。庭の隅には織田有楽斎が織田信長を弔うために建てた五重塔があります。国宝に指定されている建仁寺所有の風神雷神図も、原本は京都国立博物館に寄託されていますが、複製の屏風および陶板は建仁寺の本坊を入ったところで見ることができます。

アクセス

〒605-0811  京都市東山区小松町584

TEL : 075-561-6363

京阪電車「四条駅」より徒歩7分

駐車場  : 1時間まで500円  その後30分毎に250円

拝観時間  3月~10月 10:00~16:30(閉門17:00) 11月~2月 10:00~16:00(閉門16:30)

拝観料  : 一般500円 中高生 300円 小学生 200円

その他詳しくは公式ホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://www.kenninji.jp

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