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北野天満宮本殿

『北野の天神さん』は学問の神様とあって、受験シーズンには受験生の姿が多い。

菅原道真を主祭神とし、相殿に中将殿(道真の長子・高視)と吉祥女(道真の正室)を祀っています。北野天満宮の最大の特徴は、日本で初めて『人』を主祭神としたことです。日本の神は山や海などに宿るとされていて、山や海そのものを崇めていました。神社などの建築物を建てて崇めたのは、仏教が影響していて、崇拝の対象物を建物に入れて儀式や礼拝を行う行為はそれまではなく、中国から仏像・仏殿が入ってきて人々が崇めるようになって、その影響で神道にも建物が出来るようになりました。それに伴い信仰の対象物が必要になり、それは天照大神や素戔嗚尊であったりしましたが、それはあくまで伝説上の人物で、実在の人物の死者ではありませんでした。

 北野天満宮の歴史

菅原道真は33歳のときに文章博士に任じられ、学問的評判が高く、宇多天皇に重用され右大臣にまでなりました。しかし、本来は右大臣に成れる家柄ではないのに、自らの力によって昇進したので周囲から妬まれ、左大臣藤原時平に讒訴され、太宰府の帥に降格・転勤という形式をとって、実質上の流刑が行われました。太宰府の傍らの浄妙院に幽閉され、延畢2年(903年)、59年の生涯を閉じました。

北野天満宮楼門

北野天満宮の楼門。天満宮の『本家』だけに立派な楼門。

道真の死後、都では落雷などの天災が相次ぎ、それは菅原道真の怨霊によるものだ、という噂が広まります。そこで天皇は菅原道真の怨念を鎮めるために、左遷を命じた宣命を破棄し、道真を右大臣に復したうえ、一階を進めて正二位を贈りました。しかし厄災は次々と起こり、それらの災難は全て、菅原道真の怨霊の所為とされ、菅原道真を神に祀る動きが起こりました。942年(天慶5年)、右京七条に住む多治比文子という少女に北野の「右近の馬場」に社殿を設けて祭るようにと、託宣があり、彼女のあずま家に小飼を立てて、祀っていました。

三光門(中門)も立派な造り。扁額が美しい。

北野天満宮三光門(中門)その5年後の天暦元年(947年)近江国比良宮の禰宜、神良種の子息に道真の霊が神懸かりし、「一夜のうちに松が生える奇跡の起こる地に我れを祭るように」との託宣があり、北野の右近の馬場に、託宣のとおり一夜で千本の松が生えたため、この地に社殿を造営しました。これが北野天満宮の始まりです。後に藤原師輔が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたようです。室町時代になると幕府の帰依を受けて、北野信仰は興隆期を迎えます。嘉吉2年(1442年)には、後花園天皇によって、奉弊社に加えられました。それによって外されたのは大原野神社です。天正15年(1587年)には、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行されました。明治4年(1871年)には、官幣中社に列するとともに「北野神社」となりました。「宮」を名乗るためには祭神が基本的には皇族で、かつ勅許が必要であったためです。旧称の北野天満宮の呼称が復活したのは、戦後の神道国家管理を脱したあとです。

北野天満宮絵馬奉納所

道真の霊を鎮めるために社殿が設けられるのですが、皮肉なことに太宰府でかれが詠じた漢詩を見ても、冤罪と不運を嘆きながらも、恨みや怨念をこの世に遺したり、恨んだ人たちを呪うような痕跡はありません。そればかりか、道真には霊の供養を続けてくれる子孫がいたので、「怨霊」になることは無いように思われます。もし道真がこの世に下ってくれば、自分の社が建てられて、その中に自身が神に祀られていることに、きっと驚くに違いありません。道真を左遷させたと言われている時平についてですが、彼自身は日本史を語るには外せないあの『延喜式』の編纂を始めた人で、高い学識のあった人です。道真を左遷させた人物として悪く言われる事がありますが、本来はそれほどひどい人物ではありません。

北野天満宮には様々な絵馬が奉納されていて、見ているだけでも楽しい。

  北野天満宮の散策

天満宮に付きものの臥牛の像。多くの
参拝者が触っていくので、ピッカピカに光っている。

北野天満宮臥牛の像境内はさほど広くありません。今出川通りから入ると、鳥居があり少し歩くと楼門があります。それをくぐると、右手には宝物殿や雅楽殿があります。また左手には絵馬所や納札所があり、合格祈願に来る人たちの絵馬などが掛かっています。その奥には三光門(中門)があり、仲にはいると社殿があります。三光門は国の重要文化財で後西天皇御宸筆『天満宮』の勅額を掲げてあります。彫刻の中に日・月・星があるので三光門の名が付けられました。社殿は国宝で、現在の社殿は、1607年(慶長12年)に徳川幕府の援助によって造営されました。

秀吉による北野大茶湯が行われた碑が建っている。

北野天満宮大茶会碑境内には臥牛の像が多数置かれていますが、道真と牛との謂われは色々と言われています。ひとつには道真が丑年生まれだったから、と言うのがありますが、正しくは『天満大自在天神』との関係にあると思われます。かつては北野天満宮も神仏習合の天台宗の宮寺で、祭神は天満大自在天神という密教的な称号を持ち、牛の背に乗る天部像とされて、本地仏は十一面観音でした。このような理由で境内には、臥牛の像が多数あるのだと思われます。2月25日は道真の命日で、この日は毎年梅花祭が催されます。また毎月25日には縁日が立ち、『天神さん』と呼ばれ、多くの観光客が訪れます。一の鳥居を過ぎたところには、豊臣秀吉が催した北野大茶湯の碑があります。この北野大茶湯は天正15年(1587年)10月1日に行われましたが、当初の予定では、10日間おこなわれることになっていましたが、肥後の国で大規模な一揆が起こり、それに対処するためにこの大茶湯は一日で終わってしまいました。なぜ秀吉がこのような大茶湯を催すことをしたかというと、この年に完成した秀吉の京都での邸宅、聚楽第と関係があります。聚楽第は屋根瓦まで金箔を貼った、目映い邸宅で、北野天満宮からは直ぐ南に位置します。大茶湯会に参加した諸大名はいやでもその金づくしの悪趣味な天守閣を眺める事になります。しかし一揆が起こったおかげ(?)で、大湯茶会は一日で終わってしまいました。北野天満宮梅

天満宮には梅の花がよく似合う。

天満宮へのアクセス

〒602-8386  京都市上京区馬喰町

TEL (075)461-0005

京福電車白梅町駅より徒歩5分

参拝時間  夏  午前5時~午後6時まで  冬  午前5時半~午後5時半まで  [受付時間]  午前9時~午後5時まで[拝観自由]

その他詳しくはホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://www.kitanotenmangu.or.jp/

参考文献  : 森浩一著 : 京都の歴史を足元からさぐる 北野・紫野・洛中の巻 : 学生社刊

岡田精司著 : 京の社―神と仏の千三百年 : 塙書房刊

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