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木屋町は京都の最大の盛り場で、数多くの飲食店が建ち並びます。祇園には高級飲食店が多いのに比べて、木屋町にはリーズナブルなお店が多く、そのせいで若者の姿が目立ちます。

木屋町

 木屋町の歴史

木屋町通りが盛り場になったのは古く、江戸時代にはすでに多くの店が建ち並びました。その理由は通りの名前の由来とも関係しています。京都の材木問屋が材料を仕入れるには、幾つかルートがありましたが、その中の一つに大堰川(桂川)に集積された材が三条通りの川を利用して運ばれ、そして現在の木屋町通りにある材木問屋に運ばれました。そのため当時の木屋町通りは文字通り、材木問屋の町として栄え、それを目当てとした飲食店が多くなったのです。三条通りの川を利用する、と言うと不思議に思われる方もいると思いますが、江戸時代には三条通沿いに大きな川が流れ、それを利用して材木を運んでいました。その名残で今でも三条通には材木店が多く、川も流量は少ないですが、今でも流れています。

木屋町の名前の由来が伺える「材木橋」

木屋町を語る上で外せないのが、高瀬川です。江戸時代初期に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河です。 慶長19年(1614年)開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられました。

祇園一力茶屋

鴨川の水を導いて、二条に始まり伏見と三栖浜にいたり、淀川の三十国船に連携し、大阪と京を結ぶ経済の大動脈でした。高瀬川の長さは京都伏見間、凡そ10キロメートルです。五条から南は昔の農耕用水路を拡張利用した関係でかなり曲がりくねった流路となり、ほぼ中間点で鴨川を横断(水平交差)している形となりました。高瀬川は川幅も狭まり水深も浅いが昔は川幅も約8メートルで水深も水量も多く深さも30センチ以上ありました。川岸は炭屋と材木屋とその倉庫が多く、あとは大名屋敷でした。そしてその間に現在二条の南に唯一残されている舟入と同じ様なものが、四条まで等間隔に九つ設けられて荷物の積み卸しや船の方向転換の場所となっていました。高瀬川には幾つもの橋が架けられましたが、いずれの橋も高瀬舟が通りやすくするために、高いところを渡るようになっていました。明治28年には二条と五条の間をチンチン電車が通るようにもなりました。

木屋町には角倉了以を顕彰する碑がある。

角倉了以
  木屋町の散策

木屋町は四条通の北から三条通が賑やかで、お店の数も集中しています。この四条から三条までの間は夜になると若者が多く、夜遅くまで大変な賑わいになります。しかし、三条より北と四条より南は少し飲食店の数が少なく、また料理単価も高くなるようです。しかし祇園ほど高いわけではなく、いずれにしても気さくに入っていける店ばかりです。木屋町通りと先斗町通りの間は、細い道で通り抜けが出来るところが多く、その通り抜けの道にも多くの飲食店があります。昼間は閑散としたところですが、夜になるとパワー溢れる街に変身します。また木屋町界隈は、幕末期には歴史上の出来事が多く発生して、それにまつわる多くの石碑があります。それらを見て廻るのも木屋町散策の面白さの一つです。

木屋町の発展は高瀬川の存在が切り離せない。

木屋町へのアクセス

阪急河原町駅より歩いてすぐ

木屋町

現在の木屋町には料理店が並び立つ。