京都タウンマップ
洛東/祇園・岡崎周辺

top>>洛東>>清水寺

洛中/二条城・御所周辺

洛東/祇園・岡崎周辺

洛北/大徳寺・植物園周辺

洛南/京都駅・東寺周辺

洛西/大原野・大枝周辺

嵯峨・嵐山方面

鞍馬・花脊方面

伏見・醍醐方面

清水寺は観光都市、京都の中でも屈指の有名寺院であり、海外からも多くの観光客が訪れます。いわゆる「清水の舞台」がある本堂からは京都市内が一望でき、京都市民でさえ何回も訪れる方がいます。周辺には多くの観光地があり、平日でも沢山の人でごったがえります。歴史上でも多くの偉人が訪れる京都を代表する寺院です。また年末には、その年を象徴する漢字を選ぶ場所としても使われています。また有名寺院にしては珍しく、末寺も檀家も持たず、大衆信仰に支えられた大本山です。

清水寺 阿弥陀堂 清水寺の本堂。この舞台には釘が全く使用されていません。

清水寺の歴史

山号は音羽山です。本尊は千手観音、開基は延鎮上人です。宗派はかつて興福寺の末寺だったので、法相宗に属したが現在は独立して北法相宗大本山を名乗っています。中世には西国三十三箇所観音霊場の第16番札所になりました。世界遺産にも登録されています。開創は奈良時代の末、宝亀9年(778年)と言われています。大和の僧賢心(のちの延鎮)が霊夢をうけ、出会った行叡という老人の言葉に従って、千手観音像を彫作して滝の近くの庵で修行をしましたその後坂上田村麻呂がこの地を訪れて、妻の安産のために鹿狩りをしたところ、賢心に生類殺生の非道、観音菩薩の大慈悲を説かれ、妻と共に帰依して私邸を寄進して本堂にし、賢心と共に千手観音を祀ったのが、おこりといわれています。

清水寺 仁王門仁王門は勾配がきつく、登るのに息が上がる。

延暦24年(805年)に坂上田村麻呂が寺地を賜り勅願寺になり、弘仁元年(810年)、嵯峨天皇の勅許を得て鎮護国家の道場となり、この頃に本格的な寺観が整ったようです。また当初は北観音寺と称していました。これは賢心が大和で修行していた寺は子島寺でしたが、この寺の世号を「観音寺」と呼んでいたのに対して、この寺名をつけました。その後賢心が修行していた音羽の滝を「清水」として神聖視したことから、当初は世号であった清水寺が正式名称になりました。清水寺は京都のトップクラスの観光名所ですが、平安時代から人気があったようで、清水寺へ詣でるのに、鴨川に架けられた五条大橋(現在の松原橋)は平安時代後期には清水寺橋と呼ばれていたようです。また修理も含め橋の管理を清水寺が行っていた様で、修理や管理のための費用をまかなうのに、橋銭を徴収していました。平安中期になると南都興福寺の客末寺院になり、延暦寺との争いに巻き込まれるようになります。

清水寺 轟門 「普門閣」の扁額を掲げる轟門。この向こうに参拝の受付がある。

『義慶記』には弁慶と牛若丸が、有名な五条大橋でなく、本堂のいわゆる「舞台」で立ち回りをしたと書かれています。足利尊氏も九州から京都に攻め上がったときも、清水寺に参拝したと『太平記』に書かれています。応仁の乱では京都の寺院は壊滅的な打撃を受けましたが、清水寺も例外でなく、その兵火によって全焼してしまいます。しかし、大衆信仰に支えられ、すぐに再建されたあとも戦国大名や徳川幕府の寄進によって、多くの伽藍が建ちました。明治維新の際には、神仏分離・廃仏毀釈の令によって、檀家を持たない清水寺は大きな打撃を受けます。しかし大正三年(1914年)に興福寺貫首大西良慶が興福寺との兼務で住持し、伽藍を整備して今日の隆盛を見るに至りました。

清水寺の散策

清水寺 経堂 経堂には一切経を宝蔵して、
堂内には釈迦三尊像を祀られています。

清水寺に向かう急な坂道の参道を歩くと、清水寺の入り口である仁王門があります。仁王門の前の階段は勾配がきつく、少し息が上がります。この門は応仁の乱で一旦焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003年)に解体修理され、現在は丹塗りの鮮やかな彩色が施されています。昔ながらの丹塗りで“赤門”と呼ばれ、正面軒下に藤原行成の筆と伝えられる「清水寺」の偏額が掲げられていて、両脇間に大仁王像が祀られています。仁王門を過ぎると、西門・経堂・田村堂・朝倉堂・本堂があります。経堂は本堂と同じ寛永10年(1633年)に再建されました。一切経を宝蔵して、堂内には釈迦三尊像を祀られています。正面五間、側面四間の一重、本瓦葺き、入母屋造りで、平成12年(2000年)に解体修理され落慶法要が行われました。

清水寺 舞台 江戸時代には清水の舞台から、
飛び降り事件が起きたりもしました。

田村堂は通称で本来は開山堂です。ここには清水寺創建に携わった坂上田村麻呂と延鎮が祀ってあります。ここも寛永10年(1633年)に再建されました。朝倉堂も通称で、本来は法華三昧堂です。朝倉堂の由来は、越前の守護大名・朝倉貞景が、永正7年(1510年)に寄進したことによります。堂内中央の宝形造り唐様厨子内に千手観音ら三尊を祀ってあり、江戸時代の初期に再建されました。この寺の最大の見所は、何と言っても本堂です。この建物は寛永10年(1633年)に徳川家光の寄進により平安時代の様式で、再建されました。堂内は丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣・内々陣の3部屋に分かれていて、最奥にある内々陣の須弥壇上の三基の厨子内に本尊千手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天が祀られてます。

清水寺 子安の塔 子安の塔の周囲には柵があり、近づく事は出来ません。

寄棟造、檜皮葺の寝殿風建物で長大な柱(139本という)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えています。この舞台には釘が全く使用されていません。江戸時代にはここから男女の飛び降り心中事件が起きたりもしました。いわゆる「清水の舞台から飛び降りる」ことです。心中以外でもここから飛び落ちて自殺する事件がありましたが、死亡率は思ったほど高くありません。それは舞台の下の土地が斜面になっていて、飛び落ちた衝撃をまともに受けずに転げ落ちてしまうから、と言われています。これはスキージャンプ競技で、斜面で倒れた方が平地で転んだときより怪我が少ない、と言われているのと同じ理由です。ここからは京都市内が一望でき、京都市民でも何度も登ってみたくなります。本堂を過ぎて歩くと、阿弥陀堂・奥の院・子安の塔があります。子安の塔は子安観音(千手観音)を祀り、名前の通り安産を祈願する建物です。他の建物同様、江戸時代の初期に再建されましたが、子安の塔はなぜか他の建物の比べて傷みがひどく、少し残念な感じがします。

清水寺 音羽の滝 音羽の滝に賽銭を投げ入れる人もいます。

本堂東側の石段を下りた先には寺名の由来でもある名水が3本の筧から流れ落ちており、音羽の滝と呼ばれています。とても美味しい水で、近所に住んでいる方は、この水を自宅に持ち帰って、お茶を煎れたりする方もいます。近くのコーヒーショップでもこの水を使ってコーヒーを入れている店があると聞いています。本来は滝行を行う修行の場で、開祖の延鎮もここで滝行を行っていました。清水寺を拝観して、最後に訪れるのがこの音羽の滝で、疲れた身体を癒してくれる美味しい水です。

清水寺を出た後も、周辺には多くの観光地がふんだんにあり、この地を訪ねる人は一年を通して絶えることはありません。

清水寺のアクセス

〒605-0862 京都市東山区清水1-294

TEL:0075-551-1234

京阪電車五条駅より徒歩25分

専用駐車場はありません。

拝観料金  : 大人300円 小人200円

ホームページ  : http://www.kiyomizudera.or.jp

周辺の観光・宿泊

観光地:八坂神社 建仁寺 高台寺 祇園 木屋町 先斗町 新門前

宿泊施設: ホテルりょうぜん ぎおん畑中 ゲストパレス舞風館 レディスインさかた