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光悦寺は、京都市北区鷹峯にある日蓮宗の寺院で、山号は大虚山。旧本山は京都本法寺。江戸時代の元和元年(1615年)に徳川家康が本阿弥光悦この地を与え、光悦は草庵を結んで大虚庵と名付けました。更にその傍らに法華題目堂を建てて、本法寺の日慈上人を請うて開山しました。光悦の死後、大虚山光悦寺と号し、今日に至ります。

 光悦寺の歴史

大虚庵の周囲を取り囲んでいるのは光悦垣。

光悦寺 大虚庵

本阿弥光悦は1558年(永禄1年)に生まれ、1637年(寛永14年)に没し、日本の美術史に大きな影響を残しました。刀剣の鑑定・とぎ・浄拭を家職とする京都の本阿弥家に生まれました。父は光二、母は妙秀で、法華信徒の本阿弥家の分家に生まれました。本阿弥家は伝えられる系図によれば菅原氏の分かれで、家紋は菅原氏ゆかりの「梅紋」を用いています。現在では本阿弥をホンアミと読んでいますが、本来の読みはホンナミです。「阿弥」と付くので、時宗の阿弥衆から来ているように思われますが、本阿弥家は光悦の曽祖父、本光の代より、熱心な法華宗信徒の家柄でした。時宗の阿弥衆は、茶の能阿弥、能の観阿弥など,いわゆる阿弥号を称する人々は僧でもなく俗でもない中間の身分の人々で、「世間のあぶれ者」のような存在でした。能の観阿弥や世阿弥などは芸に秀でることで権勢の庇護を受け、代わりに男色として侍ることになりました。それに対し、本阿弥家は室町幕府の御用をつとめながら、商人として経済活動にも従事、戦国時代には京の上層町衆として知られる存在で、本阿弥家には厳格な節倹、誠心の気風が流れていたので、時宗の阿弥衆とは全く違う系統になります。

光悦寺 大虚庵

どの茶室も基礎はコンクリート。

光悦は幼い頃から美術に高い見識眼を有し、和学の教養と独自の書風を身につけるなど、次第に名声を博していきます。特に書は、近衛信尹、松花堂昭乗と並んで寛永の三筆の一人と讃えられました。また、京都の三長者(後藤、茶屋、角倉)に比肩する富を使い、芸術家のパトロンとなります。才能がありながら燻っていた俵屋宗達を見い出し、育て上げます。俵屋宗達との合作で『鶴下絵三十六歌仙和歌巻(鶴下絵和歌巻)』を世に出し、後の琳派の流れを作ります。自身も書以外でも、多くの作品を残しています。楽茶碗が伝存し、舟橋蒔絵硯箱、樵夫蒔絵硯箱など光悦蒔絵の呼称で親しまれる一連の作品も残しています。光悦は親交のあった徳川家康から鷹峯に広大な土地を与えられ、光悦村を開いたのは有名です。これは京町衆の有力者で、熱烈な法華信者である光悦が、古田織部と親しかったことを嫌った家康が、体よく光悦を京都の郊外に追い出したという説があります。当時の法華宗は、現在では考えられない程の権勢があり、その力を削ぐことを家康が考えたとしても不思議ではありません。真宗の力を削ぐ為に、本願寺を東西に分裂させた実績があるので、尚更です。

  光悦寺の散策

梵鐘の屋根が茅葺きなのは珍しい。

光悦寺 梵鐘光悦寺は表通りに面した門から入り、長細い参道を歩くと受付があります。ここで参拝料を払い、入っていきますと右手に本堂があります。本阿弥家先祖供養の霊屋として位牌堂を設けたのを本堂にしました。本堂の前に柵があり、一般の参拝者は入ることは出来ません。外から覗くと、本堂奥にうっすらと本尊が見えます。本堂を過ぎ、回廊の下を潜って少し歩くと右手に池が見えてきます。この池の前にあるのが三巴亭です。その南にあるのが、大虚庵です。大虚庵には光悦像を安置する光悦堂があります。大虚庵は大正四年の再建で、切妻造り・こけら葺き・前面に附廂があって、入り口には戸板二本引きの躙り口があり、再建当初は、東側の障子二枚引きの貴人口が躙り口になり、内部は三帳台目が四畳+二台目になっていて、床を點前座の方に寄せています。また床内は土天井とし、隅を塗り廻しとしているのは、昔の大虚庵茶室の名残を示していると思われます。光悦垣といわれる垣根に囲まれた内路地には、光悦遺愛の薄墨の手水鉢があります。光悦寺を散策していると、気になることがあります。受付近くに本堂と梵鐘があり、お寺の雰囲気があるのですが、それ以外は茶室が殆どで、本当にここが寺院なのか少し考えてしまいます。禅宗寺院なら、禅と茶道が深く結びついているので分かるのですが、ここは日蓮宗です。事の次第は次の通りです。

光悦寺は何処も奇麗に掃き清められている。

光悦寺冒頭に記した通り、この寺は光悦の草庵を死後に寺に改修したのがおこりです。しかし寺に改めた後は次第に寂れ、幕末期には荒れ果ててしまいました。それが今日のように多くの茶室があるのは、1915年に光悦が大虚庵を建立して300年になったのを記念した追善茶会を催すため、三巴亭を造ったことが始まりになります。現在茶室は七つあり、平成になってから造られた茶室もあります。その為、ほとんどの茶室の基礎は、コンクリートで固められています。江戸期以前なら土の上に基礎石を置き、その上に柱を立てるのでしょうが、そうではありません。なので、光悦寺にある茶室は、光悦自身は使ったことがありません。寺の一番奥まった場所に光悦の墓があります。日本の芸術に強い影響を残した彼が、今でも彼を記念した茶会が催されている事を知ると、土の中でさぞかし喜んでいるに違いありません。

光悦寺へのアクセス

〒603-8243  京都市北区鷹峯光悦町29

TEL (075)491-1399

京都市市バス「源光庵前」下車、徒歩約3分

駐車場  : 有り(普通乗用車)

拝観時間  : 8:00~17:00

拝観料金  : 300円、小人及び障害手帳提示者半額

公式ホームページはありません

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