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金蔵寺は洛西大原野にある天台宗延暦寺派の寺で、西岩倉山と号します。小塩山の中腹にあります。小塩山の麓から寺に向かう道幅は狭く、自動車の離合もままなりません。周辺には住宅や店舗もなく、ひっそりとしたところにあります。

 金蔵寺の歴史

寺院本堂の前に狛犬がいるのに驚いた。

金蔵寺本堂

寺伝によれば718年(養老2年)、元正天皇の勅により隆豊禅師が開創した伝えられ、聖武天皇は金蔵寺の額を賜い、729年(天平元年)には華厳・普門品等の詩経を写してこの山中に埋納しました。次いで桓武天皇は平安京遷都にあたって京都の四方に経典を埋めて王城の鎮護としましたが、金蔵寺はその西方に当たり、西岩倉山と号すると伝えられています。もとは法相・三論でしたが、のちに天台宗に改められました。「今昔物語」巻十七に「京の西山に西岩蔵と云う山寺あり、その山寺に仙久と云う持経者住けり云々」とあり、早くから西山の名刺の一として知られていたことが伺われます。その頃は寺域が大変広く、多くの坊もありましたが、応仁の乱や文明・永禄の兵火に逢い、大半が消失しました。いまの建物は貞享年問徳川桂昌院の再建によるもので、本堂には本尊十一面千手千眼観音像を安置し、護摩堂には不動明王・四大尊を安置します。また明治初年に愛宕山よりうつした勝軍地蔵像は本堂の奥、愛宕権現堂安置されています。

  金蔵寺の散策
金蔵寺愛宕権現堂

愛宕権現堂の内部を伺うことは出来なかった

金蔵寺へ公共交通機関を使って向かうには、最寄りのバス停を降りてから、かなりの距離を歩くことになります。しかも狭い山道を登っていくことになるので、それなりの覚悟が必要です。到着すると最初に迎えてくれるのは仁王門です。仁王門の左右には仁王様がいます。仁王像は長年の経年変化のせいか痛みがひどく、少し痛々しい感じがします。仁王門を過ぎると、本堂に通ずる急な石段が続きます。本堂に向かう石段の途中には護摩堂があります。護摩堂には不動明王や四大尊が安置されています。護摩堂に上がる段を登り、ガラス越しに堂内の様子を見ると、それらがうっすらと確認出来ます。護摩堂の左手を抜けていくと、岩の間に小さな泉が確認出来ます。かつてはこの清泉を神格化した石井神社がありました。上代の旧乙訓郡の中では、最も古い神社に数えられ、朝野の崇敬を集めました。金蔵寺はこの石井神社の神宮寺として建てられたものですが、現在では金蔵寺だけが有名になり、石井神社のことを知っている人は余りいません。今では泉の前に菩薩が一体あるだけで、神社の形跡はありません。因みにこの泉は向日神社の増井と水脈が同じとされていて、かつてこの泉の水を汲み替えたところ、数日後に増井の水が濁ったといわれています。

経塚跡は下の川神社の祠の後ろにある

金蔵寺経塚跡石段を再び登ると、本堂に到着します。本堂に向かう石段が中々急な勾配で、石段も少し苔生しているので、気を付けないと足を滑らせてしまいます。本堂は瓦葺きの立派な建物で、江戸中期の寺院建築の特徴的な様式を表しています。本堂には本尊である十一面千手千眼観音像があるはずですが、取材時に法要を営んでいる様子だったので、中を窺うことは遠慮しました。本堂右手に再び急な階段があり、道案内には「愛宕権現堂」とあります。これは京都の北西部にある愛宕山山頂にある愛宕神社に、江戸時代まであった「勝軍地蔵」を明治維新の際、神仏分離の令が出されて、勝軍地蔵は金蔵寺に移されました。このとき「愛宕山曼荼羅」も移されました。愛宕山曼荼羅は愛宕信仰を説いたもので、曼荼羅の上部には太陽と月を描いてあり陰陽を表し、下部には御神木の杉が描かれています。愛宕権現堂には、この両方が祀られています。勝軍地蔵は特異な地蔵で、右手に剣、左手に宝珠を持ち白馬にまたがる甲胃を着ています。詳しくは「愛宕山」を参照して下さい。石段を降り、本堂前を左に向かうと開山堂があります。その奥には見晴台があります。この見晴台からは、京都市内が一望出来ます。

この清泉を神格化したのが石井神社。

金蔵寺増井見晴台の前には茶席と経塚跡の石碑があります。経塚跡のすぐ前には下の川神社があります。すぐ前、と書きましたが、下の川神社の中に経塚跡の石碑がある、といった方が正確です。石碑の前には下の川神社の小さな祠があります。その見慣れない光景は不思議な感じで、どの様な事情でこうなったのか、疑問に思いました。それを金蔵寺の人に尋ねると、「下川という人が寺域の一部を借地し、そこに自分の信じる神様を祀って祠を建てました。それが下の川神社です」と返ってきました。今までその様な例を聞いたことがなく、少なからず驚きました。金蔵寺は室町中期には五十を超える坊を数えましたが、応仁の乱などで多くの堂塔伽藍が消失しました。明治期以降、寺院の多くは経済的な基盤を安定させるために、多くの檀家を抱えるか、有名寺院のように観光地化して拝観料収集を当てにするしか、道がなくなってしまいました。寺域の一部を幼稚園のような教育機関にして、それで収入を得ている寺院もありますが、金蔵寺のような例は初めて見ました。

金蔵寺へのアクセス

〒610-1134  京都市西京区大原野石作町

TEL(075) 331-0023

JR向日町または阪急東向日から阪急バス「南春日町」行きで終点で降り、大原野道を徒歩で約3km(約一時間)

専用駐車場有り  : 無料(約10台駐車可)

ホームページ  : 公式ホームページはありません

記事の内容は2016年11月の取材時のものです。

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