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熊野神社は丸太町通東大路交差点の西北角にあり、熊野神社の北には京都大学医学部付属病院があります。大きな神域ではありませんが、参拝に訪れる地域の人たちが絶えません。

   熊野神社の歴史

本殿はさほど大きくないが、それなりに威厳がある

熊野神社本殿

熊野神社の祭神は伊弉冊命で、相殿に伊弉諾命・天照大神・速玉男命・事解男命が祀られています。熊野神社の北東部に聖護院がありますが、かつて聖護院の森と呼ぶ一連の叢林中に祀られていました。創建の由来は諸説あり、定かではありません。社伝では熊野信仰に熱心な後白河上皇が勧進したとあります。社殿の造営に当たっては、熊野より土砂や樹木を移植したと言われています。『中右記』には1103年(康和5年)に白河法皇は聖護院の増誉僧正に「熊野御霊」を祭祀させたとあり、1112年(天永3年)には熊野新宮祭が執り行われたので、その頃に創建されたと考えられます。白河法皇は増誉僧正に熊野詣での先達をさせましたが、増誉は後に熊野三山の検校職となった修験者となりました。増誉は東山の地に聖護院を開いて、修験道の本山としました。この様な関係から、熊野神社は聖護院の鎮守神であったことが考えられます。後白河上皇の熊野詣では有名で、行幸は34度に上ると伝えられています。

提灯には八咫烏の紋が入っている

熊野神社提灯

後白河上皇は熊野神社の他に、東山の地に若王子神社と、今熊野に新熊野神社を建立しました。これら三社は京都の三熊野と呼ばれています。室町時代には、足利義満から神域が寄進され、神域の東側は鴨川に至りました。しかし京都の神社や寺院はほぼ例外なく、応仁の乱で焼亡していますが、熊野神社もこのとき焼けて無くなりました。しばらくの間、荒廃するに任せられていましたが、寛文年間に、聖護院宮道寛法親王によって社殿が再興されました。現在の本殿は1835年(天保6年)に賀茂御祖神社(下鴨神社)の旧本殿を移築したものと伝えられています。再興されたときの神域は広かったのですが、1913年(大正2年)に市電丸太町線が開通、1926年(昭和元年)東大路の拡幅するにあたり社地が削られて、現在の神域になりました。

  熊野神社の散策
熊野神社稲荷大神

鳥居の扁額には稲荷大神と金比羅大神の文字が掘られている

熊野神社は丸太町通東大路交差点の西北角にあるのでよく目立ちますが、境内に入ると拍子抜けするほどその狭さに驚きます。熊野大社は世界遺産に登録されるほどの大きな社ですが、それを思い浮かべて訪れるとがっかりします。狭い境内に本殿・拝殿・社務所等がありますが、本殿はそれなりに厳かな雰囲気があります。しかし屋根は銅葺きですが、檜皮が取れにくい現在にあっては仕方がないのかもしれません。本殿西には神倉大神・春日大神・須賀大神を祀った小さな社があり、その北には稲荷大神と金比羅大神を祀った社があります。本殿脇に吊してある提灯には、八咫烏の紋が入っています。八咫烏は熊野大社の主祭神である素盞鳴尊に仕えた、神話に登場する鳥です。八咫烏は日本サッカー協会のマークとして用いられ、日本代表選手は熊野大社に参拝に訪れますが、京都の熊野神社にも日本サッカー協会のユニフォームや協会の旗が飾られています。

熊野神社へのアクセス

〒606-8393  京都市左京区聖護院山王町

TEL  075 771-4054

市バス「熊野神社前」下車、徒歩1分

拝観料:無料

駐車場  なし

公式ホームページはありません

上記記事の内容は2018年10月に取材したときの内容に基づいています

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