京都タウンマップ
洛中/二条城・御所周辺

top>>洛中>>壬生寺

洛中/二条城・御所周辺

洛東/祇園・岡崎周辺

洛北/大徳寺・植物園周辺

洛南/京都駅・東寺周辺

洛西/大原野・大枝周辺

嵯峨・嵐山方面

鞍馬・花脊方面

伏見・醍醐方面

壬生寺は四条大宮から西に歩いて約10分の所にある律宗の別格本山で、奈良の唐招提寺に属するところから鑑真和上を開山とし、開基は快賢です。中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られています。表通りの四条通りから奥まったところにあり、周囲は住宅街で、物静かな環境にあります。

    壬生寺の歴史

本堂は正月三ケ日に限って開扉される。

壬生寺本堂

寺伝によると平安時代の正暦2年(991年)三井寺の快賢が仏師定朝に一体の地蔵尊を造らせて、これを本尊として安置したのが当寺の起りと伝えられています。鎌倉時代の建保元年(1213年)平宗平が願主となつて堂宇を修造しましたが、正嘉元年(1257年)に焼失してしまいます。しかし、二年後の正元元年(1259年)宗平の息政宗によって再興されました。今も寺宝である正嘉元年在銘の金鼓は、政宗の寄進によるものと伝えられています。次いで鎌倉末期の正安年間に中興開山円覚上人は融通大念仏をひらいて本寺の興隆に勤めました。また室町時代以降には、地蔵信仰の波にのつてよく庶民の信仰を集めました。現在の堂宇は天明の大火後の再建です。幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組の屯所が、壬生村の八木家に置かれました。壬生寺境内は新選組の兵法調練場に使われたと伝えられています。そのため境内には近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚があります。旧本尊の地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていましたが、昭和37年(1962年)、放火により本堂とともに焼失しました。現在の本尊・地蔵菩薩立像は、火災後に本山の唐招提寺から移されたものです。

壬生大念仏堂

壬生狂言を見るには、朝早くから並ぶ必要がある。

壬生寺で有名なのは新撰組の他に壬生狂言があります。壬生狂言の起源については諸説ありますが、慶安4年(1651年)壬生寺住職祐海の著わした「融通念仏桶取記」によれば、鎌倉時代に中興開山である園覚上人が上京と下京に四十八ケ所の道場を設けて融通念仏を広め、併せて勧善懲悪・因果応報の道理を説きさとしたのが始まりとされていて、のちに狂言の形式を採り入れたと伝えられています。念仏狂言は嵯峨・千本の両繹迦堂でも行われていますが、壬生寺が最も盛んです。毎年春の節分と4月、10月に演じられる無言劇で、大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれていて、重要無形民俗文化財に指定されています。この狂言は白布で頭と顔をつつみ、仮面をつけ、鉦と太鼓を主とし、時には笛も加え、「ガンデンデン、ガンガンデンデン、ガンデンデン」とはやしながら、身ぶり手ぶりだけで表現しています。演目の内容は三つに大別されます。

一、能楽から取材したもの十四種

土蜘蛛、大江山、橋弁慶、道成寺、紅葉狩、堀川御所、夜討曽我、船弁慶、鶴、大仏供養、玉藻前(殺生石)、安達ケ原、熊坂、羅生門

二、能狂言から取材したもの五種

酒蔵金蔵(棒しぼり)、炮烙割、花折、節分、花盗人

三、壬生狂言独特とみられるもの十一種

桶取、餓鬼責め、愛宕詣、大黒狩、蟹殿、山端とろろ、本能寺、餓鬼角力、大原女、湯立、棒振り

これらの内容は、地蔵尊の利生をあらわした宗教的なものや、子供のよろこぶ修羅物などがあり、とくに壬生独特といわれる世話物は軽妙洒脱、よく庶民性に富んでいて、往時の風俗人情を忍ばせます。これらの狂言は一日に五番又は六番を上演されますが、その第一番には「炮烙割り」が上演されることになっています。これは毎年節分に厄年の人々が当寺に詣うでて、炮烙に署名して奉納する風習があって、この奉納された厄除炮烙を狂言の上演にあたって割ることにより厄が落ちると言われています。またその破片をもちかえり、墓所に吊っておくと油虫が来ないとか、井戸に入れておくと虫がわかないなどとの俗信があります。

壬生寺の散策

近藤勇の胸像はなかなか立派。

近藤勇胸像壬生寺の境内はさほど広くはありません。表門を抜けて正面にあるのが本堂になります。本堂は昭和45年(1970年)に再建されたもので、五間四面、屋根は入母屋造、本瓦茸の大堂で、三間の向拝を付けています。堂内中央須彌壇上の厨子内に安置する本尊地蔵菩薩坐像は、高さ一米余り左足を踏み下げ、右手に錫杖、左手に宝珠をもつ延命地蔵で、極彩色、截金文様も美しく、また壬生形とよばれる障屏形光背も珍らしいと思われます。本堂は普段は公開されておらず、毎年正月三ケ日に限って開扉されています。表門と本堂の中間位置にあるのが、阿弥陀堂です。平成14年(2002年)の再建で、山本良介氏の設計によって再建されたお堂は、これが阿弥陀堂なのかと疑うほど、近代的な建造物で、前を通りかかったときには、最初は売店か何かと思いました。阿弥陀堂の内部には、阿弥陀如来三尊像(阿弥陀、観音、勢至)が安置され、地下には壬生寺歴史資料室があり、京都十二薬師霊場の第四番札所の歯薬師如来像が安置されています。阿弥陀仏が祀られているので阿弥陀堂なのでしょうが、この様な雰囲気の阿弥陀堂は初めてだったので、何と言っていいのか分からない戸惑いがありました。阿弥陀堂の奥には、壬生塚(新選組隊士墓所)があります。近藤勇の胸像と遺髪塔、芹沢鴨と平山五郎の墓、河合耆三郎の墓の他、隊士7名の合祀墓があります。入ってすぐのところには、三橋美智也の歌「ああ新選組」の歌碑があります。これは平成11年(1999年)に建立されました。壬生寺にはここを目的に来る人も多く、私が訪れたときにも多くの観光客が参拝に来ていました。壬生狂言が上演されるのが、大念仏堂です。このお堂は狂言を上演出来るよう、一種独特な構造になっていて、向かいの壬生寺会館2階から狂言の鑑賞が出来るようになっています。なお、壬生会館一階は壬生保育園になっています。

壬生寺へのアクセス

〒604-8821  : 京都市中京区坊城仏光寺北入る

Tel.075-841-3381

阪急電鉄又は京福電鉄「大宮駅」下車 : 徒歩10分

駐車場  : 専用駐車場はありません

壬生寺歴史資料室  : 午前8時30分から午後4時30分まで

入室料  :  大人  200 円  小学・中学・高校生  100 円

壬生塚  : 午前8時30分から午後4時30分まで

参拝料  :  一人  100 円

公式ホームページ  : http://www.mibudera.com

周辺の観光・宿泊

観光地: 二条城 六角堂 錦市場 西院

宿泊施設: 京都東急ホテル 三井ガーデンホテル京都四条
からすま京都ホテル アランヴェールホテル京都 コートホテル京都四条