南禅寺

京都五山の別格

臨済宗南禅寺派大本山の寺院で、正式名称は「太平興国南禅禅寺」で、山号は瑞龍山です。京都五山の上位(五山第一位の天龍寺よりさらに上に位置する)の別格扱いの寺院で、日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇る。およそ10万坪に七堂伽藍を構え、塔頭12ヶ寺を擁する寺で、皇室の発願になる禅寺としては日本で最初のものです。本尊は釈迦如来、開基は亀山法皇、開山は大明国師です。南禅寺は亀山法皇が文永元年に設けた離宮が発祥です。

南禅寺三門

南禅寺の三門はそびえ立つ感じがする

南禅寺の歴史

この離宮は禅林寺殿と名付けられ、1291年(正応4年)、亀山法皇は禅林寺殿を寺にあらため、当時80歳の大明国師を開山として、龍安山禅林禅寺と名づけられました。 開山に迎えられた大明国師は、その年の12月に遷化(死去)し、法皇は第二世として南院国師を選任しました。しかし禅寺といっても、離宮には伽藍として機能するものは一つもなく、南院国師は伽藍の整備をして、伽藍が完成したのは、1305年(嘉元3年)のことです。南院国師は「瑞龍山太平興国南禅禅寺」の勅額を賜り、寺号を南禅寺に改称しました。1334年(建武元年)後醍醐天皇は南禅寺を京都五山の第一としました。

南禅寺法堂

法堂も迫力のある建物。建物内部に入る事は出来ない

その後、1385年(至徳3年)足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第2位に位置づけるとともに南禅寺を「別格」として五山のさらに上位に位置付けました。京都の他の寺院同様、南禅寺も応仁の乱で、ほとんどの伽藍が焼失、復興が進んだのは江戸時代になってからです。

南禅寺の散策

南禅寺庭園

大方丈の庭園。小堀遠州の作庭と言われ、庭石の置き方を俗に「虎の子渡し」と呼ばれる

南禅寺で有名なのは三門ですが、その手前にある勅使門も由緒ある建物で、1641年(寛永18年)明正天皇より拝領した御所「日の御門」です。勅使の他は、住持の晋山などに限って開かれます。勅使門の前は駐車場になっていて、駐車される車の排気ガスで門が傷まないか、少し心配になりました。続く三門ですが、別名「天下竜門」ともいい、上層の楼を五鳳楼と呼びます。日本三大門の一つで、創建は1295年(永仁3年)西園寺実兼の寄進によって創立され、ついで応安年間新三門に改築されたが1447年(文安4年)の火災で焼失しました。その後1628年(寛永5年)に、大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために、伊勢の津藩藩主の藤堂高虎が、夏の陣に倒れた将兵を弔うために再建したものです。楼上の中央には、宝冠釈迦座像を本尊とし、左右に十六羅僕を配置しています。また天井の鳳凰、天人の極彩色の図は狩野探幽、土佐徳悦の筆とされています。この三門は歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名ですが、実際には五右衛門が存命中の時には、三門はまだ再建されていませんでした。南禅寺は標高の高いところにある寺ではなく、周囲は背の高い木々が茂っているので歌舞伎のセリフほど三門からの眺めは「絶景」ではありません。楼上の堂内は立ち入ることは出来ず、撮影も禁止です。

南禅寺琵琶湖疎水

南禅寺境内を横切る琵琶湖疎水。明治期の産業遺産が残っている

法堂を過ぎると、方丈があります。方丈は大方丈と小方丈からなり、大方丈は慶長16年に御所の内裏清涼殿を移建したものとみとめられ、小方丈は伏見城の小書院を移築しました。大方丈前面の庭園は俗に「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、小堀遠州の作と伝えられています。室内には狩野派の襖絵があり、他にも南禅寺創建の経緯を記した『亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案』(1299年)、開山の頂相『大明国師像』など、数多くの国宝・重要文化財などがあります。

アクセス

〒606-8435 京都市左京区南禅寺福地町

TEL : 075-771-0365

地下鉄東西線「蹴上駅」下車徒歩5分

駐車場  : 2時間以内1,000円、以降1時間毎500円増し  泊まり  : お問い合わせ下さい

拝観時間  3月~11月 8:40~17:00(閉門16:40) 12月~2月 8:40~16:30(閉門16:10)

拝観料  : 500円(一般),300円(中学生以下)

その他詳しくは公式ホームページをご覧下さい。

ホームページ  http://nanzenji.com

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