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梨木神社は京都御苑の東、寺町通広小路上ル染殿町、清和院御門の手前にあります。京都の中心部にありながら、御苑の中が静かであるのと同様、神社の神域内も喧噪とは無縁です。鬱蒼と樹木の生い茂る閑寂な中に本殿・拝殿.社務所等の建物や神筆碑.頒徳碑等があります。

 梨木神社の歴史

梨木神社本殿

遙拝所の屋根が丸みを帯びているので、穏やかな感じを受ける

梨木神社は1943年(明治18年)に久邇宮朝彦親王が三條実萬(忠成公)実美父子を祭神として創祀された旧別格官幣社です。この地は三條家の旧宅のあった梨木町の東に当るので社名としたもので、本社正面の一の鳥居の扁額は閑院宮載仁親王、二の鳥居の額は朝彦親王の筆です。境内には江戸後期の国学者で、雨月物語の著者である上田秋成や、日本最初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹の歌碑が建立されています。久邇宮朝彦親王は、1824年(文政7年)に生まれました。長じて仁孝天皇の養子となり、奈良興福寺塔頭・一乗院や青蓮院門跡の門主になりました。幕府がアメリカと日米修好通商条約を締結すると反対し、徳川家定の後継者問題でも松平慶永、島津斉彬、山内豊信らと共に一橋慶喜を支持します。しかし安政の大獄の嵐が吹き荒れると、相国寺塔頭の桂芳軒で隠居永蟄居の命を受けました。その後赦免されると朝政に参画します。松平容保や西郷隆盛らと共に長州藩を討伐することを画策しますが、失敗に終わります。その後世の動きが自らの思惑と離れていき、やがて広島藩預かりとなりました。明治新政府が成立すると伏見宮に復籍し、やがて久邇宮を創設しました。明治天皇が東京の皇居に移っても、久邇宮は東京には移らずに京都に残りました。

梨木神社拝殿

拝殿の作りもオーソドックスな感じ

三條実萬は1802年(享和2年)に生まれました。ペリーの黒船が来航すると、武家伝奏の実萬は幾度も幕府と対米政策を巡って協議を重ねます。朝廷は基本的に攘夷を幕府に要求していたので、開国を迫るアメリカと反対する朝廷との板挟みに遭い、幕府は苦悩します。しかし幕府はアメリカのハリスと1859年(安政5年)に日米修好通商条約を結びます。これの勅許を巡り、実萬は関白九条尚忠と対立して、左大臣近衛忠煕とともに参内停止を命じられます。これに激怒した孝明天皇によって右大臣鷹司輔煕と権大納言二条斉敬を勅使として近衛・三条両邸に派遣して両名に参内の勅命を下しました。実萬は1859年(安政6年)に安政の大獄で謹慎の処分を受け、出家して澹空と号しました。同年に危篤となって従一位に叙され、謹慎していた一条寺村で薨去します。1869年(明治2年)には明治天皇より「忠成公」の諡を与えられました。三條実美は1891年(明治24年)に生まれました。父親の実萬が安政の大獄で謹慎の身分になったことに影響され、尊皇攘夷の考えを強めていきます。久邇宮朝彦親王らが関わった長州藩を京都から駆逐する八月十八日の政変によって長州に下りました(七卿落ち)。その後幕長間の紛争に巻き込まれるのを避けて太宰府に移り、同地で王政復古を迎えました。明治新政府が成立すると、実美は新政府に参画し、新設の内大臣となりました。

  梨木神社の散策

下の写真は一の鳥居と二の鳥居の間にあるマンションと神木。
神木は朽ちたようで、腐食が進まないようにカバーが掛けられていた。
参道である石畳がマンションで途切れている

梨木神社神木梨木神社の神域はさほど広くありません。二の鳥居の前にある参道を進み、門をくぐると拝殿があります。拝殿の天井は格子天井になっていて、絵馬などの掲示物は何も掛かっていません。拝殿の奥には本殿があります。本殿手前に遙拝所があって、本殿そのものには近づくことは出来ません。本殿の屋根の形状を見ると、片流れの神社形式で、本殿の形式としてはオーソドックスです。拝殿東には茶室があります。神社に茶室があるのは珍しく、少し驚きました。茶室の建物自他は比較的新しそうで、屋根などはしっかりしていますが、庇の檜皮は朽ちかけていました。その茶室の南に「旧茶室」と書かれた開き戸がありました。これはどういうことかと不思議に思っていると、たまたま宮司さんとおぼしき人が通りかかり、お話を聞くことができました。「旧茶室」は元々茶室ではなく、明治の始めに明治天皇が東京に行ってしまった後に京都御所から下賜された建物で、本来は春興殿(賢所)の新撰殿でしたが、それを茶室に作り替えたものだそうです。それが経年変化で朽ちてしまい、建て直すのにもかなりの金額が必要になりそうなので、新たに茶室を造ったそうです。また梨木神社には能舞台があります。能舞台は普通に参拝していると分かりません。それは能舞台が社務所のように、立派な建築物になっているからです。御香宮などにある能舞台は、舞台が外から丸見えになっていますが、梨木神社の能舞台は障子に囲まれていて、外側からは見えないようになっています。

下の写真は上田秋成の歌碑。
秋成は晩年に梨木神社がある近辺に住していた。

梨木神社上田秋成歌碑梨木神社の神域には、マンションがあります。マンションがあるのは、一の鳥居と二の鳥居の間です。そのため本来は一の鳥居と二の鳥居の間には参道がある筈ですが、それはないので、一の鳥居から二の鳥居に向かうにはマンションの表もしくは裏を迂回するしかありません。何故そのようになったかというと、あまり大きくない神社仏閣が抱える経済的な問題にあります。京都の神社では、八坂神社や伏見稲荷、寺院であれば清水寺や金閣寺などはそれなりの収入源があるのですが、さほど有名でないところは神社や寺院を維持するのに四苦八苦しています。梨木神社も例外ではありません。本殿などの修繕を行う費用を工面するために、僅かなお賽銭や御守りの売上収益ではなく、土地を貸して賃借収入を神社の保全費用とすることにしました。下鴨神社同様、公表された当初は物議を呼びましたが、今では何も言われることはありません。

梨木神社へのアクセス

〒602-0844  京都市上京区寺町通広小路上る染殿町680

TEL (075)211-0885

京都市バス「府立病院前」下車 : 徒歩1分

拝観時間 : 6:00〜17:00(授与所は9:00〜)

拝観料 : 無料

駐車場  : なし

その他詳しくはホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://nashinoki.jp

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