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二条城は中京区二条通堀川西入二条城町にあり、京都の中心にあると言っても過言ではありません。前を通る堀川通りは交通量が多く、近年地下鉄も通ったことから、ますます交通の便がよくなりました。東西約500メートル、南北約400メートル、堀川通を正面とし、北は竹屋町通より南は押小路通まで、西は西ノ京式部町(千本通より東)におよぶ広大な地を占めています。

二条城東大手門

二条城の大手門は他のお城に比べて、威圧感が少ない

日本の歴史書において「二条城」と呼ばれることのあるものは複数ありますが、現在「二条城」と呼ばれいるのは徳川家康が京都に上洛時の宿所として大宮押小路に築城されたものを指します。その後御所の守護と将軍上洛時の宿舎として、現在の二の丸部分が築造され、完成したとされています。三代将軍家光の時に増築され、寛永3年(1626年)に現在の規模になりました。その後落雷や地震などで建物の損失があって最盛期の姿は現在にありません。 明治になると二条城は朝廷のものになりますが、明治4年(1871年)に京都府庁が置かれ、更に明治17年(1884年)には二条離宮になります。明治26年(1893年)には、本丸御殿の移築など大改修が行われています。「二条城」は国史跡に指定されており、現在、京都市の管理下にあります。

 二条城の歴史

唐門は大手門と二の丸御殿との間にある。
装飾が見事で徳川の威風が分かる。

二条城唐門二条城は関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、上洛時の宿所として慶長6年(1601年)5月から町屋の立ち退きを開始して、12月に西国諸大名に造営費用および労務の割り当てをして、造営総奉行に京都所司代板倉勝重、作事棟梁に中井正清が任じられ、慶長7年(1602年)5月に御殿・天守の造営に着工、翌8年3月に落成します。はじめは現在の二之丸御殿を中心としたほぼ正方形の小規模なもので、堀の水も深くなく、石垣も高くなく、城郭といった感じはなかったので、二条新御所または二条新屋敷などと呼ばれました。家康はその年の2月、征夷大勝軍に任ぜられると竣工早々の二条城に入って拝賀を受けました。それからは上洛する毎にここに滞在することになります。豊臣秀頼と会見したのもこの城中であり、また大阪冬・夏両度の陣には秀忠とともに軍議をこらしたのもこの城中でした。元和6年(1620年)秀忠の女和子が後水尾天皇の女御として入内するにあたっては、その御輿入れはこの城中で整えられました。天守は慶長11年(1606年)に完成。家光が将軍になり、寛永元年(1624年)から、二条城は後水尾天皇の行幸を迎えるため大改築が始まります。行幸は寛永3年9月6日(1626年10月25日)から5日間に渡っておこなわれました。このときが二条城のもっとも完備したときといえます。

二の丸御殿の車寄。
床は牛車で中に入れるように四半敷になっている。

二条城二の丸御殿

行幸のために新たに建てられた行幸御殿は上皇となった後水尾院の御所に移築され、その他多くの建物が取り壊されました。秀忠死後の寛永11年(1634年)7月、家光が上洛し、二条城に入城したのを最後に二条城が将軍を迎えることは途絶えます。幕末までの間に徐々に建物は破損し、老朽化します。寛延3年(1750年)には落雷により天守が焼失して、天明8年(1788年)の火災では、飛び火が原因で本丸御殿、隅櫓などが焼失します。第14代将軍・家茂は文久3年(1863年)が上洛をする際、荒れ果てていた二条城の改修が行われます。二の丸御殿は全面的に修復し、本丸には仮御殿が建てられます。二条城が再び歴史に登場するのは、幕末の文久3年(1863年)将軍家茂が孝明天皇の勅を奉じて上洛し二条城に入ったことで、家光の寛永上洛以来のことで、229年目にあたります。次いで慶喜がそのあと将軍となりましたが、時勢の推移にあがなうことは出来ず、慶応3年(1867年)十月遂に大政奉還を決意して城中から上表し、ここに武家政治の幕を閉じるに至りました。翌明治元年、朝廷は城を接収してここに太政官代を置きましたが、まもなく京都府の所管となり、二之丸御殿内に府庁が置かれました。その後しばらく陸軍省に属しましたが、明治17年(1884年)宮内省の所轄となってからは二條離宮と改め、桂宮御殿を移して修理を加えられました。昭和14年(1934年)離宮廃止とともに京都市に下賜され、それ以来「元離宮二条城」という名称となっています。

  二条城の散策

本丸御殿は、旧桂宮邸の御殿を本丸内に移築したもの。

二条城本丸御殿二条城に入るには、東大手門の北に入場券の発売所があり、そこで入場券を購入して東大手門から入ります。東大手門を入ると右手に見えるのが、二の丸御殿です。この建物は国宝に指定されていて、幕末の大きな歴史舞台になったところです。内部を見学することが出来ますが、カメラの撮影は許可されていません。大政奉還が行われた大広間や書院などは権勢を誇った徳川家の居住及び執務空間だけに、細部にわたり見事な意匠が施されています。部屋数は33、畳は800畳余り敷かれています。 主立った部屋には当時の様子を再現した人形が置いてあり、音声でその部屋の説明をしています。建物内をゆっくり見て歩くと20分以上掛かります。

二条城本丸御殿庭園二の丸御殿を出て右手に向かうと、小堀遠州の作庭と言われる二の丸庭園があります。二の丸庭園はスケールの大きな庭で、見る角度や時間によって受ける印象が変わってきます。二の丸庭園を過ぎて東橋を渡ると、本丸御殿があります。本丸御殿は明治27年(1894年)に、京都御苑の今出川門脇に位置する旧桂宮邸を移築したもので、二の丸御殿とは趣が異なっています。本丸御殿は内部を見ることは出来ません。本丸御殿は旧桂宮家の本宅で、桂宮家の別荘はあの桂離宮です。桂宮家及び桂離宮に関しては、桂離宮のページを参考にして下さい。

本丸御殿の庭園は整備されていて美しい。

二条城庭園本丸御殿から北に向かう見学路を歩くと、和楽庵や香雲亭などの茶室などが並んでいます。この一帯は清流園と呼ばれ、桜や椿など様々な花が植えられていて、春に訪れると色鮮やかな景色が広がります。築城当初は、城内通路と天守閣の一部があったようです。しかしその後空き地となったり、同心の住居があったりもしました。それも明治には撤去され、大正4年(1915年)には大正天皇即位式饗宴の儀の会場として利用されました。翌大正5年 (1916年)より城内の復旧工事が行われ、平安神宮の作庭で有名な小川治兵衛氏によって疎林式庭園に復旧されました。二条城は大変広く、ゆっくり見て歩くと半日以上はかかります。

庭園は様々な草木に彩られて、
春は桜が咲き誇る。

二条城へのアクセス

〒604-8301  京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

TEL (075)841-0096  : FAX (075)802-6181

地下鉄東西線「二条城前駅」下車

駐車場  : 乗用車  : 210台  : 2時間まで  : 600円

開城時間  午前8時45分~午後4時(閉城  : 午後5時)

入城料金  : 一般 600円  : 中学生・高校生  : 350円  : 小学生 200円団体  : (30名以上)  : 500円

その他詳しくはホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo

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