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仁和寺は、真言宗御室派総本山の寺院で、山号を大内山と称し、寺号は仁和寺です。本尊は阿弥陀如来、開基は宇多天皇です。仁和寺は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者で賑わいます。同寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもあります。

仁和寺 五重塔

仁和寺と言えば桜。春は桜の花で溢れそうになる。

 仁和寺の歴史

仁和二年(886年)に、光孝天皇が大内山の南麓に鎮護国家・仏法の興隆を図るため寺院の建立しようと発願しましたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御しました。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、同年八月には金堂で光孝天皇の供養が執り行われました。当初は「西山御願寺」と称されましたが、後に寺号は、年号を取って仁和寺と名付けられました。 宇多天皇は31歳で、第二皇子である醍醐天皇に譲位し、昌泰2年(899年)に出家して、法皇となります。この地域の地名である御室(おむろ)は、出家した宇多天皇が仁和寺伽藍の西南に「御室」(この時の呼び名はみむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだことに由来しています。そして当寺には「御室(仁和寺)御所」の別称があります。宇多天皇はさらに寺内を整備しましたが、承平元年(931年)に崩御し、大内山に葬られました。仁和寺はその後も皇族や貴族の保護を受け、明治時代に至るまで、宮宅が歴代の門跡を務め(最後の皇族出身の門跡は、伏見宮純仁法親王、後の小松宮彰仁親王である)、門跡寺院の筆頭として仏教各宗を統括していました。

仁和寺 二王門仁和寺の二王門は京都の三大山門に数えられている。

平安時代後期には、仁和寺を中心として、その周辺に建立された堂舎は70以上にもなりました。さらに近辺には、四円寺といわれる天皇の御願寺が相次いで建てられ、御室一帯は、寺院が集中して堂塔を構える地域となります。しかし元永2年(1119年)四月十三日の火災によって、本堂(金堂)、食堂、東西回廊、鐘楼、宝蔵二宇、経蔵、三面僧房、観音院など多くの堂舎が焼失しました。焼失した堂舎のうち金堂と鐘楼は、その年の十二月十日に再建供養が行われましたが、その他の東西回廊、経蔵、三面僧房、食堂などは、やや遅れて保延元年(1125年)になって再建供養が行われました。

仁和寺 金堂 金堂には阿弥陀如来が奉られている。

平安時代末期から室町時代初めまで、堂舎の消長は個別にはありましたが、仁和寺全体としてはおおむね隆盛が続き、応仁の乱までは、仁和寺の寺容は継続されました。しかし都全体を焦土に化した応仁の乱で、応仁2年(1468年)九月、仁和寺は御室をはじめ堂塔はことごとく焼亡し、すべて焼け野原になってします。一面荒野と化した御室一帯が、再建の途についたのは江戸時代になってからです。寛永11年(1634年)に将軍徳川家光は、再建のために金二十余万両を寄進します。その再建計画は、慶長年間(1596~1615年)に建てられた御所の内裏を建て替えを行い、その取り壊された旧殿舎の多くを仁和寺に移築するものです。そして寛永21年(1644年)九月には、金堂がほぼ完成し、十月には二王門の金剛力士も安置されました。正保3年(1646年)十月には造営が完成し、翌4年に諸堂菩薩の開眼供養が行われて、仁和寺伽藍も再興しました。現存の金堂、五重塔など中門からうちの建物のほとんどと二王門はこの時に再建されました。

仁和寺 中門中門の丹塗りは少し薄れているが、痛みは少ない。

しかし、明治20年(1887年)になると宸殿、勅使門など御殿の部分が火災にあい、焼失してしまいます。その後宸殿などは大正三年(1914年)までには再建され、これが現在、御殿といわれている仁和寺本坊になります。その明治末から大正期にかけての御殿の再興にあたっては、当時の建築・絵画・作庭の粋を集めての造営が行われました。現在、二王門をくぐつて参道の左方にある勅使門、宸殿、黒書院、白書院、霊明殿など御殿と称される建物がそれにあたります。現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山として、その役割を果たしています。また平成六年には、京都のほかの寺社などとともに、世界道産に「古都京都の文化財」として登録されました。

  仁和寺の散策
仁和寺 御殿入り口

御殿入り口は唐破風の様式。

仁和寺の表玄関である二王門は、江戸時代の寛永年間に再建された三門ですが、同じ江戸期に建てられ京都の三大三門に数えられる知恩院の三門に比べて威圧感が無く、穏やかな感じを受けます。他の寺院では左右に仁王を配置した三門を仁王門と言いますが、仁和寺ではこの門を『二王門』と表していています。これは仁和寺の建立当初から用いられているようで、「二つの仁王を配置している門」と言う意味のようです。二王門をくぐると、左手に御室御所と呼ばれた宸殿があります。江戸期の寛永年間に御所から移築した常御殿は、明治20年に焼失して、大正3年に再建されました。御所と同様に建物全体が優美な姿で、『御室御所』の名称に似つかわしい雰囲気があります。寝殿を出てすぐ北側に勅使門があります。この勅使門も大正2年に再建されました。柵が設けてあるので、余り近づくことは出来ませんが、欄間などの装飾は見事なものがあります。しかし南禅寺等の勅使門に比べると少し小振りな印象があります。勅使門をすぎ、北に歩くと中門があります。中門は伽藍中心部に入るための入り口になります。中門も二王門同様、門前に階段があり、立ち姿も優美な感じがあります。中門を過ぎると、左手には御室桜と呼ばれる桜が群生しています。春にここを訪れると、まるで桜花の雲の中にいるような感じになります。金堂前の染井吉野、鐘楼前のしだれ桜とはまた違った雰囲気があります。次に右手に見えるのが、五重塔になります。五重塔は明治20年の火災の際には焼け残り、寛永年間に再建されたときのものです。東寺の五重塔に比べ、塔身が低い(32.7m・東寺の五重塔は54.8m)ので、威圧感はありません。再び北に歩くと本殿に当たる、金堂があります。金堂は寛永19年に御所紫宸殿を21年の歳月を掛けて移築したものです。本尊は阿弥陀三尊を祀られていて、国宝に指定されています。全体的に紫宸殿らしく優美な形状です。しかし近くによってよく見てみると外壁の漆の剥落がひどく、少し残念な感じがします。

仁和寺 鎮守九所明神

鎮守九所明神は神仏習合の名残り。

金堂を右に曲がり、五重塔を過ぎると九所明神があります。ここは仁和寺の伽藍を鎮守している社殿で、上賀茂・下賀茂・日吉・八坂・伏見稲荷・松尾・平野・小日吉・小野島の計9座の神々を勧請しています。日本の寺院には大なり小なり神社がありますが、明治維新の際に神仏分離が下命されたのちは無くなってしまうか、あっても建物の規模が小さくなってしまう例が多いのですが、仁和寺ではこのように大きな社が残ったのは珍しいことと思います。しかも9座の神々を勧請しているのは他では見あたりません。九所明神を引き返し、金堂を過ぎると御影堂があります。御影堂は寛永年間に御所の清涼殿の材を用いて建築されました。御影堂はさほど大きな堂社ではなく、中に入って見学することが出来ました。中には弘法大師の像が厨子の中に安置されていて、大師の顔もはっきりと見ることが出来ました。

取材をしたのが桜の花が満開の時期だったので、致し方がないのかもしれませんが、茶店などが多く、寺院そのものが観光地化されていて、『仁和寺』という仏教寺院を見学するには、少し出来にくい雰囲気があります。駐車場もお昼前には、入庫待ちの行列が出来ていました。桜の花を満喫されたい方はこの時期しかないのかもしれませんが、『仁和寺』そのものに触れたい方は他の季節をお薦めします。

仁和寺へのアクセス

〒616-8092  京都市右京区御室大内33

TEL  (075)461-1155

京福電鉄北野線御室駅から徒歩5分

駐車場  : 専用駐車場があります。 : 500円

拝観時間  9:00~16:30

拝観料金 : 500円  御殿拝観 : 500円  桜まつり期間中は境内(伽藍)は有料 : 500円

その他詳しくはホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://www.ninnaji.or.jp

仁和寺周辺の観光

観光地: 金閣寺 龍安寺 妙心寺 広隆寺