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二尊院は小倉山の東麓にあり、天台宗延暦寺に属します。嵐山渡月橋東から北に歩き、15分ほど歩いた閑静な地にあります。山門から入って登り坂になる緩やかな参道には、秋になると紅葉に彩られ、多くの観光客で賑わいます。ここには藤原定家が小倉百人一首を選定したと言われている時雨亭の跡があります。

 二尊院の歴史

二尊院 総門総門は威厳がある

二尊院は、正式には二尊教院華台寺といいます。二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来します。山号は小倉山です。二尊院がある地は、嵯峨天皇が平安時代初期の承和年間(834–847年)、慈覚大師に勅して創建させた華台寺の旧址と伝えられ、久しく荒廃していたのを鎌倉時代初期に法然上人の高弟正信房湛空が再興しました。湛空は土御門・後嵯峨二帝の戒師となり、大いに堂宇を再建しました。中興開山湛空上人は土御門・後嵯峨両天皇の戒師となり、建長5年7月に当寺にて入寂しました。湛空上人廟は本堂背後の小倉山中腹にあります。次の叡空も天皇の帰依を受け、天台・真言・律・浄土の四宗兼学の名刹として隆盛しました。嘉禄3年(1227年)に起こった嘉禄の法難の際には、法然上人の遺骸を天台宗の僧兵から守るために法然廟所から二尊院まで六波羅探題の武士団らに守られながら遺骸が移送されました。

二尊院 八社八社は痛みが激しい

京都の他の寺院同様、応仁の乱により荒廃してしまいました。その後、永正18年(1521年)に三条西実隆父子の帰依により再興され、豊臣秀吉や徳川家康が寺禄を与えて寺運も栄えました。檀家には二条・鷹司・三条・三条西家等の旧堂上華族及び角倉等の旧家を擁し、西嵯峨の一名山となりました。本堂前に掲げられている「二尊院」の額は、後奈良天皇の宸筆ですが、はじめの額は小野道風が書いたものといわれ、もと四脚門に掲げてありました。ところが門前の池から夜々霊蛇が現れて額の文字を嘗めてしまいます。寺ではこれを防ぐために額のそばに不動明王像を描かせましたが、効果は一向にありませんでした。そこで正信上人という憎が蛇の執念を取り除くために、自ら円頓戒の血脈をかいて池に沈めたところ、間もなく池中に千葉の白蓮花が生じました。これは龍女成仏の標であるとして、この花をとり、寺の什宝にしたといいわれています。

  二尊院の散策
嵯峨日記

道案内の看板に書かれている人物以外にも、著名な人の墓が多い

二尊院は嵐山方面観光の地理的に中心な場所にあります。本山前は交通制限され、観光用の人力車が行き交い、多くの観光客がそぞろ歩きをしています。東面した総門は威厳があり、門を見ているだけでも値打ちがあります。総門を潜り、拝観料を支払って入っていくと、眼前にあるのがなだらかな登り勾配の参道です。この参道は通称「紅葉の馬場」と呼ばれ、秋が深まり紅葉の季節になると、アーチ状に紅葉が広がり、訪れる人の目を楽しませます。この山道を登ったところに本堂がありますが、筆者が訪れたときは本堂の改修工事を行っていて、本堂を見学することが出来ませんでした。本来なら、堂内中央の厨子の向かって右に木造釈迦如来像があり、左に木造阿弥陀如来があります。又傍らには「法然上人足曳の御影」が安置されているのを見学出来ますが、今回は残念ながら拝見することが出来ませんでした。

二尊院 紅葉の馬場秋になると参道は紅葉のトンネルとなる

この御影は法然に深く帰依する関白藤原兼実が、宅磨澄賀に命じて上人の姿を写さしめたものですが、それは上人が浴後居座して片足を外に現したものでした。驚いた上人はその御影に向つて持念されると、不思議にも絵中の上人は片足を引いて端座の相になったという伝説があります。本堂背後の小倉山中腹には、土御門・後嵯峨・亀山天皇の分骨陵や湛空の廟所があります。他にも角倉了以・東涯親子、三条実万などの貴族の墓所があります。他にも多くの文人や学者の墓があります。それらを一つ一つ見ていくと、名前しか知らなかった人物が、急に身近に感じられます。

二尊院へのアクセス

〒616-8391  京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27

TEL (075)861-0687

JR嵯峨嵐山駅下車  徒歩15分

専用駐車場はありません。

拝観時間:9:00〜16:30

入山料:中学生以上 500円、小学生まで無料

公式ホームページはありません

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