京都タウンマップ
洛中/二条城・御所周辺

top>>洛中>>お土居

洛中/二条城・御所周辺

洛東/祇園・岡崎周辺

洛北/大徳寺・植物園周辺

洛南/京都駅・東寺周辺

洛西/大原野・大枝周辺

嵯峨・嵐山方面

鞍馬・花脊方面

伏見・醍醐方面

お土居

府立医大図書館前のお土居跡。

 お土居の歴史

お土居は正式にはお土居堀と言います。お土居は、東は鴨川、北は鷹峰、西は紙屋川、南は九条に至る延長22.5キロメートル、高さ約4~5メートルの土塁で、外側には幅4メートルから18メートルの堀を伴ないました。この土塁は、外敵侵入を阻止する軍事的意味合いと同時に、鴨川など河川の氾濫から市街地を守る役割を持っていました。工事を命じた豊臣秀吉は、かつての平安京をイメージしながらも、京都の地形並びに治水対策を考えた綿密な計画のもとに都市改造を行ったようです。工事は天正19年(1591年)の正月から始まり、2月には原型ができ、5月には完成し、なんと工期わずか5ヶ月で完成しました。京都は聚楽第を中心に巨大な城塞都市に変貌しました。

お土居地図しかし弊害もありました。土塁を築くのに用いた土の量は、堀から掻き揚げた土の量より沢山必要だったので、他の場所から持って来なければなりませんでした。今でもそのことについては正しい説ははっきりしないようですが、嵯峨野から持ってきたという説が有力なようです。そのせいで嵯峨野の竹林はお土居が出来た後でかなり荒れたようです。また四条通にもお土居を築いたので、祇園祭の山鉾巡行の後にする還幸祭がお土居が破壊されるまでの間は出来ませんでした。これは秀吉が祇園祭の鉾町の町衆の団結をおそれて、祇園社との関係を妨害する意図があったようです。お土居の破戒は大正・昭和になってから、急速に進みました。江戸期にも破戒はあったようですが、明治の初期に発行された地図では、大部分のお土居が残っています。大正時代に現在の京都駅を建設するときに、一番ホームは、お土居の土塁をそのまま活用して、ホームとしました。現在でもこのホームは日本で一番長いホームとして知られています。現在でもお土居は、京都市内のあちこちに残っています。有名なところでは、北野神社や北野中学、廬山寺などがあります。中には史跡に指定されているところもありますが、それらの所でも史跡であることを無視され、また京都市もそれらを取り締まる姿勢がないことから、開発等で破壊が進み、お土居が京都市内からなくなりつつあります。また京都市民もこれらのことについてどちらかというと無関心で、どこかのお土居が無くなっても、住民運動が起きたり、マスコミが騒いだりする事もありません。

お土居北野中学

北野中学内のお土居。

  お土居の散策

鷹峯の史跡お土居公園は造成当時の雰囲気を残している。

お土居公園お土居の姿を現在に一番よく伝えているのは、鷹峯の史跡お土居公園でしょう。ここは市営住宅と京都朝鮮学園の間にあって、探すのには分かりにくいところですが、京都市による公園化がされてよく整備されています。史跡に関する立て看板があり、初めて訪れる人もお土居についてよく分かるようになっています。しかしその他のお土居跡については、先にも書いた通り、残念ながら整備されているとは言えません。このページのトップにある府立医大図書館前のお土居跡についても、これがお土居跡である事を知っている京都市民は、残念ながら多くありません。その他にも北野手天満宮の近くにもありますが、これも知っている人は少ないように思われます。

お土居を訪ね歩くには、情報が少なく、多くの困難が伴います。

お土居へのアクセス

公式ホームページ等はありません。