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大原野神社本殿

平安時代には二十二社・官幣中社に列したが、嘉吉2年に北野天満宮が奉弊社になったことで大原野神社は奉弊社から外された。

大原野神社は、奈良春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、二十二社・官幣中社に列し、現在は別表神社となっています。祭神は春日大社と同じで、武御賀豆智命(武甕槌命)・伊波比主命(経津主命)・天之子八根命(天児屋根命)です。現在でも社殿の大きな修繕があるときには、宮内庁からの補助金が下賜されます。また大原野神社は地域の人たちの信仰が篤く、お正月には多くの初詣の人たちが訪れて、本殿前は長い行列が出来ます。

 大原野社の歴史

延暦3年(784年)に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、桓武天皇の后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったのが始まりとされています。これは藤原乙牟漏が奈良にいたときに、春日社に度々参拝していましたが、長岡京へ遷都したので参拝するのに不便を感じて、大原野に分詞を勧請しました。このことから京春日の別称があります。その後、約60年を経た嘉祥3年(850年)に左大臣藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇は冬嗣長年の願望を想い出して、壮麗な社殿を造営しました。仁寿元年(851年)には初めて勅祭がな行われ、春秋二季を例典となりました。また、伊勢の斎宮や加茂の斎院にならって、斎女が置かれるようにもなりました。以来、藤原氏は女児が誕生すると、后になるように祈願に訪れ、成就すると盛大な行列で参詣するようになりました。

大原野神社参道

境内は森閑としていて、落ち着いた雰囲気。

寛弘2年(1005年)には、一条天皇の中宮彰子が父の左大臣・藤原道長を伴って訪れています。後に中宮彰子に仕えた紫式部も、『源氏物語』のなかで、冷泉帝が大原野神社に行幸する場面を描いています。平安時代には二十二社・官幣中社に列し、皇族や貴族の参詣が盛んに行われました。また清和天皇の皇后藤原高子が、まだ皇太子の御息所であった時、当社へ参詣になり、供奉の在原業平が、「大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思い出づらめ」との和歌を詠じて奉ったことは、有名です。建武3年(1336年)には、足利尊氏によって、社領が安堵されて、室町幕府の祈願所にもなりました。

大原野神社水取り場しかし応仁の乱以後、社運が次第に衰えて、祭儀も途絶えがちになり、社殿は荒廃していきます。現在の社殿は慶安4年(1652年)に造営されたものです。祭神として、奈良の春日社同様、御本殿の第一殿には建御賀豆智命、第二殿には伊波比主命、第三殿には天之子八根命、第四殿には比賣大神が祀られ、摂社若宮社には天押雲根命を祀っています。古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤い。

春日社を勧進しただけあって、禊ぎの水取り場も鹿の口から水が出るようになっている。

  大原野社の散策

茶店の食事はなかなか美味しい。

大原野神社茶店一の鳥居を潜ると急な階段があり、それを登ると長い参道が続きます。参道は鬱蒼とした杜の中を歩きます。参道の中程には大きな池があり、平安期にはこの池の事を詠んだ歌もあります。この池の畔には常設の小さな茶店があります。この店のぜんざいとよもぎ餅はなかなか美味しくて、お代わりをしたくなりました。茶店の反対側には、相撲の土俵があります。ここでは毎年秋に小学生による奉納相撲が行われて、賑やかになります。再び参道を進むと、一の鳥居より少し小さめの丹塗りの鳥居があります。この鳥居の向こうに本殿が見えてきます。本殿は神域同様、こじんまりとした拝殿ですが、丹塗りが鮮やかです。2008年の春にそれまでかなり痛んでいた建物を修理・補修したのが完成、竣工しました。本殿右手には、社務所があります。ここも他の建物同様、質素な感じで対応して頂いた方も丁寧に応接してくれました。

大原野社へのアクセス

〒610-1153  京都市西京区大原野南春日町1152

TEL(075) 331-0014

JR向日町または阪急東向日から阪急バス「南春日町」行きで終点で降り、大原野道を徒歩で約1.1km

専用駐車場有り 終日:400円

ホームページ  : http://www.kyoto-web.com/oharano

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