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祇園建仁寺の南、鴨川以東の東山々麓を京都では昔から六原と称され、この地は葬送地でした。貴族階級は南鳥辺野(今の今熊野東方の地)に葬られましたが、ここには一般庶民の遺骸を葬ったところとされています。その地にある六波羅蜜寺は、空也上人が庶民救済のために建立した平安期からある由緒ある寺院です。

 六波羅蜜寺の歴史

六道の辻はこの世とあの世を繋ぐ道

六波羅蜜寺 六道の辻

六波羅蜜寺は、京都市東山区建仁寺の南、轆轤町(松原通大和大路東入二町目下ル)西側にあにある真言宗智山派の寺院で、山号は補陀洛山と号します。本尊は十一面観音で、国宝に指定されています。開基は空也上人で、西国三十三箇所第17番札所です。現在では余り広くない寺域しかありませんが、江戸時代までは大伽藍を連ねたのが、明維新の廃仏毀釈を受けて大幅に寺域を縮小しました。現在、主な建物は本堂と弁財天堂、宝物収蔵庫のみとなっています。しかしながら創建当初から庶民に親しまれた寺です。また、多くの仏像を有する美術史上重要な存在となっています。六波羅蜜寺は空也上人が開創したとつたえる寺で、「元亨釈書」によれば、村上天皇の951年(天暦5年)に都に疫病が流行したとき、上人は一体の十二面観音像をきざみ、これを洛中に引きまわして祈願を込めると、たちまち悪疫が息んだといわれています。次いで963年(應和3年)に現在地に尊像を安置し、西光寺と号したのが起りと伝えられています。空也は存命中から醍醐天皇の落胤という説が噂されますが、自らの出生を語ることはなかったとされ、真偽の程は分かりません。若い頃から在俗の修行者として諸国を廻り、南無阿弥陀仏の名号を唱えながら道路・橋・寺などを造り、貴賤を問わず仏教の教えを広めたことから幅広い帰依者を得ます。上人は常に民衆に分け入って念仏をすすめ、うち捨てられた身寄りのない遺骸に逢えば、これを拾いあつめてねんごろに埋葬したといわれ、晩年は六原の地に住し、ここで没したと伝えられています。

六波羅蜜寺 本殿門や外壁はモダンな雰囲気で、歴史のある寺院と思えない

上人が興したその寺を西光寺といいましたが、一般には「六原の寺」と呼ばれました。これは六原の地にあるからで、この地は都の葬送の地でした。桓武天皇が平安遷都にあたって葬所とされたところで、珍皇寺を建てて弘法大師の聖跡とし、東寺に管領させたと伝えられています。六原の葬場は、民衆の遺骸を葬ったところで、貴族はもっぱら南鳥辺野(今の今熊野東方の地)が葬場とされました。空也はこうしたことから六原の地に、寺を設けたものとされています。のちに弟子の中信はその後をうけて仏教の教義「六汲羅蜜」を任したので、名も六波羅蜜寺と改ため、天台の別院としたと伝えられています。しかし、これはこの地か古くから六原とよばれていたのを仏語の六波羅蜜をあてて、寺号としたものと思われます。桃山時代に真言宗智積院の末寺となりました。平安時代末期に、平家がその一族の邸宅をここに構えて六波羅第と称し、清盛を六波羅入道大和国とよんだのも、この地名によるものです。次いで鎌倉幕府がここに朝廷を監視するための六波羅政庁を設けて、六波羅探題を置くようになると、政治権力の中心地となりました。往時は広大な寺域を占め、今の松原通に面して総門(北門)があり、東に開山堂・不動堂・鎮守松尾社などがありました。しかし応仁の乱等の中世以降の兵乱に荒廃し、寺域もまた狭隘となり、わずかに旧観をとどめているにすぎません。

  六波羅蜜寺の散策
六波羅蜜寺 十二面観音像

十一面観音菩薩像の右手にあるのが一願石で、奥には平清盛公乃塚がある

六波羅蜜寺を訪れると、多くの寺院を巡ったことのある方でさえ、少し戸惑いを覚えることがあります。それはまず、外観にあります。鉄格子の外観を最初に見たときには、これが寺であるとは認識できず、入り口近くになって格子越しに本堂などが確認できるようになって、これが目指す六波羅蜜寺であると認識できました。入り口近くに拝観受付がありますが、本堂は拝観無料です。宝物館を拝観する方は、ここで入館料を払います。本堂は受付を右に入るとありますが、その手前に幾つかモニュメントのような物があります。ひとつは一願石です。これの左には、立て札があり、これには「祈りをこめて金文字から手前に三回おまわし下さい。」とあります。一願石は高さ一メートル強の石柱で、上部に回転する石の円盤があり、これを立て札の通り回すと、願いが一回叶うそうです。その左に銅像で出来た、十一面観音菩薩像が置かれています。本堂にある十一面観音菩薩像を模して作られたのがこの銅像ですが、本堂に安置されている十一面観音菩薩像は、普段目にすることが出来ないので、一般参観者向けの像と言えます。

六波羅蜜寺 西国17番札所

六波羅蜜寺は西国17番札所になる

本堂の十一面観音菩薩像の高さはおよそ2.5メートルですので、ほぼ原寸大といえます。又その左手には、平家ゆかりの石像があります。「平清盛公乃塚」で、先程にも記したように、平家一族がここに構えたことから、清盛の霊を弔って塚が設けられました。また、この奥には大小の地蔵尊があります。これらの地蔵様は、この地域から発掘されたのもばかりで、六原の地が葬送の地であることがこれをもってもわかります。これらを拝観した後、本堂に向かいます。本堂は、柱が丹塗りで装飾され、軒や三手継ぎなどもきれいに装飾されていて、歴史の寺院では珍しいことです。1363年(貞治2年)の再建ですが、1969年(昭和44年)に開創千年を記念し解体修理され、彩色が施されました。内部外陣の一部を化粧尾根裏とする以外はすべて組入天井とし、虹梁上の板蟇股や内陣須弥壇の擬宝珠の形などに、よく鎌倉末期風の重厚な感じがただようています。中にはいると、奥行きはそんなに感じませんが、左右に広く感じます。正面中央には、国宝に指定されている本尊の十一面観音があります。しかし、須弥壇中央の厨子内に安置されていて、普段は拝むことが出来ません。金箔押、木彫、左手をあげ右手をたれた優美とされていますが、本堂前のこれを模した銅像から想像するしかありません。本尊厨子の両脇には、四天王立像が立っています。これらは重要文化財に指定されています。いずれも筋骨たくましい像ですが、広目天像のみは鎌倉時代の補作になります。本堂裏手に宝物館があります。ここには有名な空也上人立像や平清盛坐像の他、多数の重要文化財の仏像が安置されていて、さながら小さな仏教美術館のようで、戦乱の多かった京都の地にあって、よくこれだけの物が残ったと、感心します。もし宝物館に展示されなければ、本堂の十一面観音菩薩像のように、実物を見るのは難しかったと思われます。どれも教科書に出てくるようなものばかりで、近くで見られるのは幸運かもしれません。

六波羅蜜寺のアクセス

〒605-0062 京都市東山区五条通大和大路上ル東

Tel.075-561-6980

清水五条駅下車 徒歩7分

専用駐車場はありません。

拝観時間 : 8:00~17:00

宝物館拝観時間 : 8:30~17:00(受付終了16:30)

宝物館拝観料金 : 大人600円 大中高生500円 小学生400円

ホームページ  : http://www.rokuhara.or.jp

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