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臨済宗妙心寺派の寺院。山号を大雲山と称します。本尊は釈迦如来、開基は細川勝元、開山は義天玄承です。

龍安寺 石庭

石庭は未だに作者や作製意図がはっきりしない。

 龍安寺の歴史

永観元年(983年)に円融天皇は衣笠の地に円融寺を建立しました。その後円融天皇は朱雀上皇になった後、出家して円融寺に没するまで住み続け、上皇の陵墓は円融寺に営まれました。円融天皇没後の円融寺は次第に衰退していき、平安時代末になると藤原実能が領有し、同寺址に山荘を建てました。山荘内には徳大寺という寺院が創建され、実能の子孫はこれが家名となり徳大寺家を称するようになりました。

龍安寺 鏡容池近世の地誌類によれば、石庭よりも池泉回遊式庭園のほうが著名であったらしい。

室町時代の宝徳2年(1450年)、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元は、藤原公有の斡旋で徳大寺家から山荘を譲り受けると、妙心寺5世住持の義天玄承を迎え、同地に龍安寺を創建しました。寺名の由来は、中国北宋の龍安山兜率寺から来ていると言われています。龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされていますが、義天自身は2世に退き、自分の師の日峰宗舜を開山に立てています。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路のあたりまでが境内であったといわれています。しかし龍安寺は、応仁の乱で焼失してしまいます。勝元は文明5年(1473年)に死去しますが、勝元の子の細川政元と、4世住持・特芳禅傑によって長享2年(1488年)に再興されました。寺では特芳を中興開山と称しています。明応8年(1499年)には方丈が建立され、石庭もこの時に作られたとされています。

龍安寺 衝立庫裡を上がって直ぐにある衝立。

慶長2年(1606年)に織田信長の弟の信包によって西源院本堂が建立されます。その後、寛政9年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の1つである西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)としました。平成6年(1994年)には世界遺産に登録されました。近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には塔頭が21か寺、軒を連ねていたようです(現存するものは3か寺)。『都名所図会』のような絵入りの名所案内書を見ると、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりもむしろ、池を中心とした池泉回遊式庭園のほうが著名だったようです。石庭を作ったのは長く不明でしたが、最近の調査で般若房船禅師が関わっていた可能性が高いことが分かってきました。

  龍安寺の散策
龍安寺 知足の蹲踞

方丈裏手にある知足の蹲踞。一般拝観者が観ることが出来るのはレプリカ品。

駐車場から参道を通って、少し歩くと山門になります。山門はさほど大きくなく、禅宗寺院にありがちな威圧感もありません。山門をくぐると左手に鏡容池があります。鏡容池は想像していたよりも大きく、よく整備されていて美しい眺めです。大覚寺の大沢池のように大きい(実際に大沢池の方が鏡容池よりも大きい)だけでなく、庭園の樹木と非常にマッチした景観になっています。この池が作られたのは古く、円融天皇の時代とも藤原実能の時代とも云われています。そして本堂に向かう参道も美しく整備されていて、参道脇のいわゆる「龍安寺垣」も優美で見る者を飽きさせません。訪ねたときは桜の季節で満開でしたが、桜の種類が豊富で一本一本を堪能しながら鑑賞できます。方丈の出入り口は庫裡になります。庫裡は受付にもなっていて、ここで履き物を脱いで方丈の参観になります。

龍安寺 庭園

庭園はよく整備されていて美しい。

玄関を上がって直ぐに、大きな衝立があります。この大きな衝立の表側には「雲關」と書かれています。この書の意味が別の額に記されていて、そこには「寺西乾山筆 『雲關』 大雲山 龍安寺 即ち『雲山の玄関』で『雲関』となるわけではあるが、元来は禅宗の宗門書『碧巌録』の第八則にある『雲門和尚云く關』による即ち『雲関』とは『雲門を云く関』の事でありこれを『韶陽の一字』とも云い禅語となっている 尚『關』は玄関或は関所の意味であり入るために通るところ又は通らねばならぬところのいみである」とあります。この衝立の裏にも書が書き記されていて、これには「通気」とあります。この書も寺西乾山の筆で、以下の説明書きがありました。「通気(きをつうず)意味は説明しにくいが『通ず(つうず)』は『とおる』とか『かよう』のほかに『つらぬく』『ゆきわたる』のいみがある。次に『気』は『きもち』など『心のはたらき』のいみから『ちから』とか『いきおい』更には『萬物が育つための根元力(生命力)或いは『宇宙の萬物を生成する霊的な質』と云った意味がある。(参考)天地位を定め山澤気を通ず(易経)ところであけっぱなしの玄関は確かに『風通しがよい』からと云うので『通気がよい』『空気がよく通る』などと解釈するのはまちがい。ましてやここは玄関であるから『通る気』などとよむのは言語道断。」とありました。ここを通り過ぎると、方丈があります。方丈もさほど大きくありませんが(建立当初は塔頭だった)、昭和28年から皐月鶴翁が5年がかりで描がいた龍の襖絵があり、なかなか迫力があります。方丈の前面に広がるのが、世界的にも有名な石庭です。正式には方丈庭園と言います。庭園一面に白砂が引き詰められていて、15ヶの石が配置されています。この庭園を作庭した人の名前は今でもはっきりしていませんが(龍安寺の歴史の最後に、般若房船禅師について触れましたが、これも確定的ではありません)、見る人によってこの庭から受ける印象が違うように思われます。寺院が禅寺で、この庭が造られたのが応仁の乱の後なので、禅宗独特の思想観が反映されているのは間違いないと言えます。庭園には石が置かれた部分の土に苔が生えている他は緑がありませんが、塀の向こう側に桜の花が満開になっているのが好対照で印象的でした。また庭園の左手に、目の不自由な方向けに手で触れる庭のミニチュアがあります。

龍安寺 方丈の雲龍

方丈の襖絵の雲龍はなかなかの迫力。

方丈の拝観経路に従って歩いていくと、左手に仏殿があります。仏殿は寛政9年に焼失した後、長く再建されませんでしたが、昭和56年に建立されました。しかし非公開になっているので、一般の拝観者は入ることは出来ません。再び経路順に歩みを進めると、方丈の裏手になりますが、有名な「知足の蹲踞(つくばい)」があります。中央の水穴を「口」の字に見立てて、その穴水の上に「五」、左に「矢」、右に「隹」、下に「疋」が浮き彫りさていて、「吾唯足知」と読みます。言葉の意味は「今私が持っている物で十分である」といった趣旨になります。これは徳川光圀の寄進とされていますが、実際に拝観者が見ることが出来るのはレプリカで、本物は収蔵庫に保管されています。再び拝観路を進むと、茶室の蔵六庵があります。江戸時代の初期に出来ましたが、内部は非公開で見ることは出来ません。方丈を出て、左手には勅使門があります。勅使門は寛政9年の火災で当時の門が焼失したために、西源院の唐門が移築されて、新たな勅使門になりました。門の屋根瓦には家紋があり、よく見ると開基である細川家の紋です。拝観経路は鏡容池をぐるっと回るコースになります。池もさることながら、庭園も桜、紅葉、椿など様々な木々が植樹されていて、四季折々に花を楽しむことが出来ます。それらは非常によく整備されていて、近世に石庭よりも庭園のほうが人気があったのも頷けます。

龍安寺は海外でも有名な寺院で、外国人観光客の姿も多く見受けられました。しかし寺院そのものは決して京都の他の寺院に見られるような寺院の観光地化はされておらず、寺本来の姿を守ろうとしているように思えました。拝観をしていて、清々しい気持ちになりました。

龍安寺へのアクセス

〒616-8092  京都市右京区龍安寺御陵下町13

TEL  (075)463-2216

京福電鉄北野線御室駅から徒歩7分

駐車場  : 専用駐車場があります。 : 石庭観覧者に限り一時間無料。以後500円

拝観時間  3月1日~11月30日;8:00~17:00  12月1日~2月28日;8:30~16:30

拝観料金 : 大人 : 500円 : 小・中学生 : 300円

その他詳しくはホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://www.ryoanji.jp

龍安寺周辺の観光

観光地:金閣寺妙心寺 仁和寺