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神泉苑は大宮御池と千本御池との中間にあり、少し北に歩けば二条城があります。平安京造営当時の遺蹟としては現存唯一のもので、昭和10年(1935年)史蹟に指定されました。平安期には広大な敷地を有していましたが、二条城が築かれる際に、多くの敷地が失われました。

    神泉苑の歴史

神泉苑は昭和10年史蹟に指定された。

神泉苑門柱

平安時代の京都は右京と左京に分かれ、居住に適した左京に人々が集まりましたが、右京は湿潤な土地柄なために閑散とした状況になりました。その中で湖沼の一部を利用して禁苑とされたのが神泉苑で、つねに清泉を湧出するところからこの名称がつけられました。禁苑とは天皇御遊の庭園のことで、上代中国の専制君主は帝櫂の偉大さを豪華壮大な苑池の設けることによって示しました。神泉苑もその事例を範とし、池を中心とした自然の景観をそのままとり入れた幽遠豪壮なものでした。その四至は、北は二条より南は三条まで、東は大宮より西は壬生大路に画した南北四町(400メートル)、東西二町(200メートル)にわたる広大なものでした。桓武天皇を始め、歴代の天皇の多くはここに数多く行幸しましたが、中でも嵯峨天皇の行幸数は実に四十三度に及びました。これは当時、大内裏には大極殿や豊楽院などの建物のみが多くあって、天皇御遊の庭園がなかったからによるものと推測されます。遊宴にあたっては、池中に龍頭鶴首の舟をうかべ、管絃を奏し、苑内乾臨閣に御して陪従の文人に詩を創作させました。また三月の観花、七月の納涼・七夕祭、九月の菊酒等の行事がおこなわれ、その時に奉った詩文は「凌雲集」や「文華秀麗集」「本朝文粋」などに収められ、よく往時の趣きをつたえています。

神泉苑拝殿

拝殿はこじんまりしている。

また神泉苑には数多くの伝説がありますが、中でも有名なのが天長元年(824年)の大干魃の時、祈雨の修法を東寺の弘法大師(空海)に命じて、神泉苑で執り行われたときのことです。このとき西寺の守敏僧都が現れ、自分は世寿法膿ともに空海の先輩であり、また請雨経法にも長じており、先ず自からが先に修法を行うと申出ます。言に従い朝廷は守敏に下命されたところ、七日目の結願の日に、雷鳴をともなった滞然たる驟雨があったので、衆人はことごとく感嘆しました。しかし、この雨は洛中だけで、洛外の山野には及びませんでした。次いで弘法大師が、七日間、同じく祈雨の修法を行いますが、七日経っても雨は一滴も降りませんでした。不思議に思った大師が調べてみると、守敏が諸龍を瓶のなかに封じ込めていることが分りました。そこで二日間の延長をねかい出て、天竺(印度)の阿蒋達智池にすむ善女龍王を勧請して祈りました。すると結廟の日に今度は黒雲は天を覆い、雷鳴は四方にとどろき、たちまち豪雨となって、池水は修法の壇上にまで溢れました。この雨は三日間降り続き、萬民うるおい、さしもの旱魃も免がれました。それより神泉苑は善女龍王の棲家とし、併せて祈雨の修法をおこなう場所になった、と伝えられています。右は「元亨繹書」巻一や「古事談」三、「今昔物語」巻十四等に記されている話をまとめたものですが、大師が神泉苑に雨を祈った確実な史料はありません。それにもかかわらず多くの書物に記されているのは、この伝承が平安末期頃まで多くの人々によって語りつがれていたからでしょう。その後も神泉苑で密教徒による雨乞い祈願がしぱしば行われ、また苑内の池水を放流し、田畑を潅漑したことがありました。

神泉苑放生池

放生池には龍頭鶴首の舟を模した船が浮かんでいる。

祈雨の道場としての神泉苑は、また御霊会の修法場としても有名でした。これは奈良時代から平安時代にかけて、天災地変や悪疫の流行は、無実の罪を受けたり、非業の最後を遂げた人々の怨霊によるものという考えが広がり、その怨霊をなだめ祀るための御霊会が、神泉苑で行われたことによります。この御霊会がおおやけに行なわれたのは貞観5年(863年)のことで、このとき崇道天皇(早良親王)・伊豫親王・藤原吉子(伊豫親王母)・橘逸勢・文屋宮田麿・藤原廣嗣の六人の霊を祀り、霊前では盛大な読経や舞楽が奉納されました。北辰北斗の信仰による属星祭など種々の宗教的行事がおこなわれましたが、朝威が衰えるにつれて次第に中止され、苑内もまた荒廃し、鎌倉時代の建保頃にはまつたく狐狸の棲みかとなってしまいました。北條泰時は諸将に課して門垣をきずき、狼籍することを禁じたましが、その後また荒廃し、慶長年中、徳川家康が二条城を築城するにあたって苑の多くの地を割き取ったので、当初の規模はなくなりました。現在の神泉苑は元和年間、筑紫の僧覚雅が官に請うて再興したもので、方一町にわたる苑内には今なお中央に池があり、池中の島には善女龍王を祀り、傍に弁財天祠があります。本堂は池の西にあって本尊聖観音像を安置し、その際の鐘楼には正保3年(1646年)在銘の鋼鐘があります。また苑内西北隅には中興開山覚雅上人および再興にあたって協力した所司代板倉勝重と片桐且元の供養塔とつたえる五輪石塔三基があります。現在眞言宗東寺派の寺となっていますが、これはむかし弘法大師が雨乞い祈願をしたという旧縁によるものです。

神泉苑の散策

恵方社は方向が変えられるユニークな社。

神泉苑恵方社神泉苑に入ると、苑内敷地の大きな部分を占めるのが放生池です。自分の病気を魚や亀に托し、この池中に放つと病気が全快するという信仰があり、いまなお池中には多くの亀や鯉がいます。放生池の周りを周回して散策できるようになっています。ツツジなのどの草花が数多く植生され、季節毎に目を楽しませてくれます。放生池には平安時代に貴族が遊宴して楽しんだ龍頭鶴首の舟が再現されて浮かんでいます。神泉苑に入ってすぐのところには、橋が設けられて池の上を渡ることが出来ます。神泉苑は静御前と源義経が雨乞いを通じて出逢った場所との伝説があり、この橋の上で恋人同士が愛を誓い合うと結ばれるという俗説があるようです。この池は現在でも大きな敷地を有していますが、平安期に庭園が出来た頃を想像すると、壮大な景色が浮かんできます。境内西南にある祠は、恵方社と呼ばれています。この小さな社は歳神様を祀り、この神はその年の吉方(恵方)にあって開運をつかさどる神とされていて、正月や節分に詣る人が多いのが特徴です。台座は円い石からなり、社殿はその上に安置されています。この社殿はその年の恵方にあたる方角に向きをかえるよう、自由に動かせるようになっています。これもむかし苑内で属星祭などの星の信仰による祭事を行ったからだと思われます。恵方社の奥にある池中の島の善女龍王を祀った社も、こじんまりとした社です。手前に拝殿があり、訪れたときには拝殿を修繕していました。

神泉苑へのアクセス

〒604-8306 : 京都市中京区御池通神泉苑東入門前町167

TEL:075-821-1466

拝観料……境内自由

その他詳しくはホームページをご覧下さい

公式ホームページ:http://www.shinsenen.org

駐車場はありません

地下鉄東西線「二条城前駅」下車 : 徒歩2分

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