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千本釈迦堂の正式名称は大報恩寺といいますが、ここでは千本釈迦堂の名称で通します。千本今出川を西北へ約400メートル、上京区五辻通七本松東入にあります。かつては寺域の東端が千本通りまでありました。瑞應山と号する新義真言宗智山派の寺で、釈迦如来像を安置するところから、「千本釈迦堂」と呼ばれています。むかしは嵯峨釈迦堂とならんで、釈迦如来信仰の中心をなしていました。また北野の地にあることから、北野釈迦堂とも呼ばれています。

 千本釈迦堂の歴史

門柱の名称は、「大報恩寺」でなく「千本釈迦堂」。

千本釈迦堂 門柱

「京兆大報恩寺沙門義空伝」によれは、開山求法上人義空は、羽州の生れで、藤原秀衡の遠孫に当ると言われています。父は忠明といい、母は薬師如来に祈って日輪を呑む夢をみて、上人を生んだと伝えられています。幼少より学問を好み、15歳で鎌倉の月輪房阿で童子になり、19歳で剃髪して、鶴岡八幡の夢告で比叡山に登り、12年間の修行で天台密教を習得しました。そして猫間中納言光隆卿(猫間とは光隆の屋敷があった地名で、現在の七条坊城壬生のあたり)の家卒の岸高が、千本の地を上人に喜捨したので、ここに小堂を構え、一仏と十大弟子像を1221年(承久3年)に安置したのが、寺の起りであるとされています。一仏とあるのは、本尊の釈迦如来坐像のことで、鎌倉初期の快慶の弟子の行快の作とされています。その後1223年(貞応2年)に大堂を建たいと思いましたが、材がないので、工人達はどうすることも出来ませんでした。ところが摂津尼崎に浄金(成金ともいわれている)という材木商がいて、ある夜の夢に老僧が現れて、洛北に一つの精舎が建てられているが、ついてはお前のところに所蔵する巨材をその心柱としたいから、是非買ってほしいという。浄金がその申出に応じたところ、「大報恩寺」なる印をその木の頭にきざんだ、と思うと夢から覚めます。見ると材木に印文が、記されていたので、大いに感嘆しました。早速、京都に上って大報恩寺を訪ねると、堂内に安置する釈迦如来の像が、夢にみた老僧とまったく一致していました。浄金は早速材木を提供したので、大堂もすぐに完成した、といわれています。義空は、1241年(仁治2年)に没しています。

千本釈迦堂 本堂

京都市内で応仁の乱以前の建物が残っているのは奇跡的。

はじめは倶舎・天台・真言三宗の霊場として、往時は堂塔伽藍も完備して壮麗を極めましたが、中世の兵乱にかかって多く建物が焼失して、今は本堂(秤迦堂)だけが残っています。しかし京都の中心部にあって、本堂だけでも残っているのは奇跡的とも言えるかもしれません。この建物は東寺の校倉(宝蔵)を別にすると、旧京都市域での最古の建造物でもあります。2月には節分会、5月には花供養、7月には陶器供養、8月には精霊迎え、12月には大根炊きでなどの行事が営まれますが、中でも大根炊きは有名で、朝から大根を求める方の行列が、絶えません。これは炊かれる大根を食べると、中風にならないと信じられているからです。

  千本釈迦堂の散策

願成就寺は、何故か正面に菰樽が置いてある。

千本釈迦堂 願成就寺千本釈迦堂は、かつては千本通りに面していたほどの広大な寺域を擁していましたが、現在ではかなり縮小され、正門は往時には千本通りにありましたが、現在は五辻通りから入る南門が正門となっています。宗派の新義真言宗智山派の総本山は、智積院で三十三間堂の近くにあります。山門を入って左手直ぐに北野経王堂願成就寺があります。この寺は、1391年(明徳2年)に陸奥大守山名氏清が足利幕府に叛いて挙兵しましたが(明徳の乱)、逆に義満により内野の原に於いて討滅されました。義満はその翌年に叛たとはいえ、かつて幕府に功労があった氏清とその一族、或いは戦に倒れた敵、味方兵士の供養のために千人の僧侶を集めて供養をし、引き続き応永8年に北野社の社頭に三十三間堂の二倍以上の大堂を建立して「北野経王堂願成就寺」と命名して毎年10月に仏事を行って供養をしました。しかし江戸期に入ると荒廃して1671年(寛文11年)に解体縮小されて小堂になり、現在の地に移って再構築されました。この寺には、柵が設けてあり、上がることは出来ません。正面の扁額には「太子堂」とあります。願成就寺を過ぎて、奥にあるのが本堂になります。本堂は桁行五間、梁間六間、単層、屋根は入母屋造、檜皮葺で、正面に一間の向拝をつけています。本堂にはいるのは、拝観料が必要となります。拝観料を支払い、本堂に入ると、意外とこじんまりとした感じを受けます。堂内奥に安置するのが、本尊であり秘仏になっている釈迦如来座像です。普段は観音扉が閉まっていて拝顔することは出来ませんが、大きなお祭りなどがある時には開帳されます。内陣の柱には、うっすらと創建当時に描かれたと思われる仏画を見ることが出来ます。堂内はさほど明るくなく、又近づくことも出来ないので、描かれている仏画がどのような内容かは分かりません。

おかめは、現在でも商標などにも用いられている。

千本釈迦堂 おかめの塚本堂を出て右手には、霊宝館があります。霊宝館にはかつて本堂に納められていた、十大弟子立像があります。十大弟子とは釈迦の高弟たちのことで、舎利弗、摩訶目催連、摩訶迦葉、須菩提、富楼那、摩訶迦旃延、阿那律、優波離、羅喉羅、阿難の十人を指します。これらの作者は鎌倉期に活躍した仏師の快慶で、優美な姿を見ていると時間が過ぎるのを忘れてしまいます。また、この十大弟子立像は木造で、重要文化財に指定されています。この十大弟子像と向かい合うように保存、展示されているのが、六観音像です。いずれも木造で如意輪観音像だけが坐像です。六観音像は十大弟子よりも一回り大きく、等身大くらいの大きさがあり、胎内経がそれぞれの像に有しています。六観音像の作者は定慶と言われています。彫刻の線が非常に繊細で、十大弟子像同様、見惚れてしまいました。秘仏とされている本堂の釈迦如来像の写真展示がされていて、写真で見る限りでは、凛々しい顔の如来像であることが窺えます。霊宝館を出て、本堂横に行くとおかめの塚があります。この塚で祭られているおかめは本堂造営の時の棟梁の女房で、棟梁がお堂の柱を切るときに、一本だけ短く切ってしまい、その対応に苦慮した棟梁を斗洪によって寸足らずの柱を補うようにと提案して、工事が無事に終ります。そのあとおかめは女の提案であったことが知られぬよう自刃したと伝えられています。

 

釈迦堂へのアクセス

〒602-8319  京都市上京区五辻通六件町西入ル溝前町1305

TEL (075)461-5973

京都市市バス「上七軒」下車、北へ徒歩約2分。

駐車場  : 専用駐車場はありません。

拝観時間  : 境内自由  拝観料金  : 本堂、霊宝館 大人500円

拝観時間  午前9時から午後5時まで

その他詳しくはホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://www.daihoonji.com

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