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鷹峯は北区紫竹の北西にあり、背後に鷹ケ峯、鷲ケ峰、天ケ峰の三山を負い、京都市内が展望できる高台にあります。京都市内から杉坂を経て、周山に至る街道上の要衝で、京の七口の一つである長坂口です。

    鷹峯の歴史

鷹ケ峯はなだらかな山

鷹峯

この地は栗栖野の北西に当たり、かつては毎年鷹が雛を産む為にやって来たので、鷹峯と呼ばれるようになりました。平安期の頃は、貴族などが別荘を構えることもなく、禁野として天皇の遊猟地として書物に出てくるぐらいで、寂れた場所でした。ここに注目が集まるようになったのは江戸時代になってからで、1615年(元和元年)に本阿弥光悦が、徳川家康よりこの地を拝領して、一族縁者を引き連れて移り住みました。やがて光悦を慕う芸術家や豪商も移り住んで、京都の芸術・文化の一大拠点となりました。次に日蓮宗の学室が設けられ、それに加えて北国街道の要路に当たるので物資の集散地となり、明治の初期には殷賑を極めました。1869年(明治2年)に光悦村、千束村および背面の山域(一ノ坂・石拾い・堂の庭)が合併して西紫竹大門村となり、1884年(明治17年)には上ノ町、木ノ畑村、蓮台野村を編入し鷹ケ峯村(鷹峰村)となりました。しかし国鉄山陰線が開通し、明治37年には高尾・梅ヶ畑経由の周山街道が出来たことで、人や物の往来が激減し、寂れてしまいました。1931年(昭和6年)に京都市上京区に編入され、1955年(昭和30年)に分区・新設の北区に含められました。

  鷹峯の散策

お土居跡に桜が自生しているのは珍しい。

鷹峯 お土居鷹峯は住宅街で、目立った観光施設があまりありません。光悦寺周辺に幾つか観光施設があるくらいで、散策しても観光客に出会うことはさほどありません。鷹峯で有名なのは光悦寺で、江戸初期に本阿弥光悦が徳川家康から領地を拝領し、庵を結びました。光悦は京都の法華宗の有力者で、彼の元には様々な芸術家が集まるようになりました。集まった芸術家の中で、その時埋もれていた絵描きに俵屋宗達がいます。宗達の類い希な才能を光悦は見出し、援助します。力を付けた宗達は傑作を世に送り続けて、後の琳派を生み出します。これについては「光悦寺」を参照して下さい。鷹峯地域の南部は、豊臣秀吉が太閤時代に京都に設けたお土居の北西の角に当たります。

松野醤油は文化2年創業の老舗。

鷹峯お土居」で書いたように、京都市内各地にはお土居の跡が見られますが、どこも余り保存状態がいいとは言えず、風化するのを防止する策を取っている場所は殆どありません。しかし、鷹峯には史跡としてのお土居を保存していくために柵を設けたり、公園を整備したりしています。そのためお土居が出来たときの規模や状態を知りたい人は、この地を散策すると理解が進みます。ここに掲載してる写真のお土居には柵が設けられて鍵が掛かっています。その鍵はこの地域の町内会が管理しています。但し、余程のことがない限り、柵の鍵を開けてくれることはありません。京都市内にはこのように史跡に柵が設けられ、その柵の中に入る扉の鍵をその地域の町内会が管理しているところは結構あります。このお土居の柵を北に少し歩くと、松野醤油があります。松野醤油は文化2年(1805年)創業し、現在でも手造りの醤油を製造しています。ここは店舗と工場を兼ねていて、醤油以外にも味噌などの商品を販売しています。店に入ると醤油の香りが漂い、興味本位で入店しても購買意欲に駆られます。味見をすると深いこくに驚きます。

鷹峯へのアクセス

京都市市バス「源光庵前」下車

周辺の観光・宿泊

観光地: 光悦寺 今宮神社 金閣寺 古田織部美術館

宿泊施設: ホテル然林房 京都ブライトンホテル 京都ガーデンパレス
宿屋西陣荘