天龍寺

後醍醐天皇の菩提寺

臨済宗天龍寺派大本山の寺院で、山号は霊亀山です。寺の正式名称は天龍資聖禅寺です。本尊は釈迦如来、開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石で、京都五山の第一位です。天龍寺の地は、平安時代には、檀林皇后が創建した檀林寺がありましたが、その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇とその皇子である亀山天皇は仙洞御所を造営し、「亀山殿」と称しました。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名があります。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなみます。

天龍寺法堂

法堂には「選佛場」の扁額が架かっている。

天龍寺の歴史

足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、亀山殿を寺に改めたのが天龍寺です。足利尊氏は、後醍醐天皇が起こした建武の中興に異を唱え、天皇に反旗をひるがえし、後醍醐天皇は尊氏追討の命を出しています。尊氏と後醍醐天皇の争いは、尊氏の勝利に終わりますが、後醍醐天皇は吉野に逃れます。そこから乾坤一擲を謀りますが、後醍醐天皇は急死してしまいます。その菩提を弔うため、夢窓疎石が足利尊氏に菩提寺の建立を進言し、光厳上皇の院宣を受けて開創されることになりました。当初は暦応資聖禅寺と号したが、比叡山が暦応の年号を寺号とすることに反対したため、やむなく尊氏は天龍資聖禅寺と改めました。

天龍寺大方丈

大方丈は明治32年の建築

当時の室町幕府は、南北朝の戦乱と諸国の守護を味方に付けるため、恩賞を気前よく与えたために、財政に余裕がありませんでした。しかも夢窓疎石が戦乱で亡くなった兵の菩提を弔うために、利生塔や安国寺の建立を進言し、それも実行していたために、益々財政は逼迫していました。尊氏は、天龍寺造営のために備後国、日向国、阿波国、山城国などの諸国を寄進しましたが、それでも資金が足りず、遅々として建設が進みませんでした。そこで元との貿易を結び、寺の建設資金にあてました。これが俗に言う天龍寺船です。天龍寺船は、1342年(康永元年)に2艘で出航し、翌年帰還して五千貫文を天龍寺に納めました。1345年(康永4年)に、光厳上皇と光明天皇の臨幸を仰いで、落慶法要と後醍醐天皇七回忌法要を行いました。天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約33万平方メートル、現在の嵐山のほとんどと亀山の全て、京福電鉄嵐山駅あたりにまで及ぶ広大なものでしたが、度々の戦乱や火災に遭い、創建当初の建物は残っていず、寺域も明治10年の太政官令によって十分の一に縮小されました。それまでは嵐山は天龍寺の寺領で、京都所司代の管轄の基に、嵐山の桜を植樹したり管理をしたりしていました。また渡月橋の管理も天龍寺が行っていました。現在の主な建物は1899年(明治32年)に法堂、大方丈、庫裡、1924年(大正13年)に小方丈、1934年(昭和9年)に多宝殿などが再建されたものです。

  天龍寺の散策

天龍寺曹源池

曹源池庭園は夢窓疎石の作庭。

高雄山寺は愛宕五寺の一つであったので、山の中腹に位置し、山門前の石段は急な登り勾配になっています。息を弾ませながらたどり着くと楼門前に拝観受付があり、入山料を支払って楼門を潜ると広い境内が広がっています。京都市内とは思えない静寂さに包まれていて、ゆったりとした時間が流れています。入ってすぐ右手に、書院があります。書院では毎年五月一日から五日まで、「宝物虫払行事」が行われていて、普段は落ち着いた境内も多くの拝観者で賑わいます。この行事は1637年(寛永14年)の「虫払定文書」の故事にならって、昭和29年から行われています。空海が残した『灌頂暦名』や後白河法皇の『紺紙金字一切径』など、貴重な寺宝がありますが、とりわけ有名なのが藤原隆信筆といわれる絹本着色源頼朝・平重盛・藤原光能像三幅で、特に源頼朝像は日本人なら誰でも知っていると言っても過言でないほど有名です。しかし、一部研究者からこの三幅の肖像画の人物について、違う人物であるとの指摘が出ています。その人物とは足利尊氏・直義・義詮の三者ではないかと言う説です。この説は絵画的見地及び歴史学見地から推察されています。これに対する反論もあり、決定的な決着は付いていません。いずれの説が正しいにせよ、見事な肖像画であることに変わりが無く、一度現物を見る価値は十分にあります。書院を西に進むと石段があり、その石段を登ると鐘楼があります。この鐘楼は元和年間、所司代板倉勝重の再建ですが、鐘楼にかかる銅鐘は貞観17年に鋳造されました。内部には高さ150センチ、口径62センチの鐘がありますが、普段はそれを見ることは出来ません。この鐘は橘広相が序詞を作り、菅原是善が銘を撰び、藤原敏行が書いたもので、古来三絶の鐘と称されるほど有名です。通常の禅宗寺院が原則として南を正面としていますが、天龍寺は境内東側に入り口があり、入ると直ぐに勅使門があります。勅使門の前は駐車場になっていて、門を正面から見るのが難しく、少し残念です。少し歩くと法堂があります。ここの法堂は他の禅宗寺院に比べて、若干小さいようです。法堂の天井に描かれている雲龍図は、1997年(平成9年)に加山又造氏が描いたもので、その製作工程はNHKで放映されたので、記憶がある方もいるでしょう。それまでの雲龍図は鈴木松年が描いたものでしたが、和紙に描かれていて痛みがひどく、法堂移築100年と夢窓国師650年遠忌の記念事業として新たな雲龍図が描かれました。法堂の奥に大方丈、その西側に小方丈(書院)があります。大方丈から眺める曹源池庭園は夢窓疎石の作庭とされ、その景色は夢窓疎石の禅の精神を表しているとされています。曹源池の中央にある縦長の石が並んでいるところは、龍が昇天するところとされ、禅の精神が表現されています。

アクセス

〒616-8292  京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68

TEL  (075)881-1235

JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅 下車徒歩10分

駐車場  : 専用駐車場はありません。

拝観時間  8:30 ~ 17:30

拝観料金  : 大人、大学生、高校生500円  小、中生300円  法堂参拝の場合は500円追加

その他詳しくはホームページをご覧下さい。

ホームページ  : http://www.rinnou.net/cont_03/10tenryu/

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