洛南/京都駅・東寺周辺

東寺

真言密教の根本道場

東寺は南区大宮九条にあり、昼夜問わず、交通量の多いところです。京都市内では唯一五重塔が現存し、ランドマークタワーとなっています。空海ゆかりの寺院で、宗教法人としての公称は教王護国寺(詳名は金光明四天王教王護国寺秘密伝法院)。東寺真言宗の総本山です。山号は八幡山、本尊は薬師如来。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。「王(天皇)を教え、国を護る」という壮大な寺号は、空海の考えを示しています。

東寺五重塔

五重塔は木造塔としては日本一の高さを誇る

東寺の歴史

空海は774年(宝亀5年)に四国讃岐で生まれました。空海が生まれた場所は、現在では善通寺になっています。幼少の頃は儒学の勉学に励みましたが、やがて儒学の限界を悟り、大学を中退して僧侶になる道を選びました。一説では、空海の名は仏道修行時に洞窟の中で目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったと言われています。空海は数年の放浪生活の後、803年(延暦22年)に遣唐使と供に中国に渡り、中国で真言密教の伝授に励みました。当初は留学生として二十年間滞在する予定でしたが、恵果の元で灌頂を受けて僅か二年で日本に戻ったのは806年(大同元年)です。日本に戻っても、すぐには都に上らずに太宰府に一年ほど滞在しました。空海が中国に渡った頃の天皇は桓武天皇でしたが、日本に戻る直前に桓武天皇は崩御しました。やがて天皇は嵯峨天皇になり、嵯峨天皇は空海を都に呼び寄せました。空海に対する嵯峨天皇の信頼は篤く、空海もそれに応えました。816年(弘仁7年)には修禅の道場として高野山の下賜を請い、やがて下賜する勅許を賜りました。823年(弘仁14年)には、太政官符により東寺を賜りました。これは嵯峨天皇の意向が強く働いたと思われます。本来、「寺」という漢字には役所の建物という意味があります。元は宮中の従者で、特に宦官をを指す文字でした。中国では、外国の使節を接待する施設を鴻臚寺といいました。後に鴻臚寺を僧の宿舎とするようになったので、寺は仏教施設になりました。平安期における日本の官制では、外国の使者を接待する役所は玄蕃寮といいました。

東寺南大門

南大門は三十三間堂の西門を移築したもの

一説によると、平安遷都に当たり、都の東西に玄蕃寮が置かれました。東の玄蕃寮が置かれたのは、現在の東寺であるという。従って、東寺は東の鴻臚寺という意味があります。空海としては東寺を下賜されたことは、痛し痒しだったと思われます。空海は密教の世界を視覚的に見せるため、高野山を下賜してもらって密教寺院を建立しようとしていました。しかし一個人の僧侶が喜捨を募って資財を集めても、空海が望んでいた完全な立体曼荼羅を具現化するにはほど遠かったのです。だが官寺である東寺を下賜してもらうと、それに入れる仏像や法典など調達する為には、官がお金を出してくれます。だが東寺は先に記したように、当初とは鴻臚寺として建てられたため、空海が望む密教寺院としてなりようもなかった。東寺を下賜してもらった頃、空海は死期が迫っているように感じていたようで、遅々として進まぬ高野山を見ているより、官のお金で東寺に講堂を建ててそこに立体曼荼羅を実現する方が、不完全にせよ自分の望みに近いと考え、諸仏や伽藍を整えていきました。なお空海が弘法大師のとなったのは、彼の死後です。延喜21年10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られました。応仁の乱ではここだけは聖地として破壊を免れましたが、1486年(文明18年)に土一揆の拠点となり伽藍のほとんどを焼失してしまい、創建以来の寺観を失いました。しかし、その後も織田信長や豊臣秀吉・秀頼の援助を受けて復興を遂げ、江戸幕府にも保讃されました。五重塔も5代目で、1644年(寛永21年)に徳川家光の寄進で再建されています。何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていませんが、南大門・金堂・講堂・食堂が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままです。

東寺の散策

東寺金堂

金堂は東寺の中心堂宇

東寺の正面入り口に当たる南大門は九条通りに面していて、三十三間堂の西門を1895年(明治28年)に移築したものです。切妻造本瓦葺、3間1戸の雄大な八脚門で、官立寺院としてふさわしい門です。南大門を潜ると、金堂が見えてきます。金堂は1606年(慶長11年)、豊臣秀頼の寄進によって再建されました。重層層入母屋造本瓦葺。下層正面の屋根を1段切り上げ、天竺様の挿肘木に和様、唐様を折衷しています。本尊は金堂再建と同時期に造られた薬師三尊像。いずれも高さ3m近い像です。創建当時の金堂は1295年(永仁3年)に焼失してしまい、再建された堂も室町時代の土一揆で焼失していました。

東寺講堂

講堂には日本最古の本格的な密教彫像ある

金堂の次に見えてくるのが講堂です。講堂は室町時代の1491年(延徳3年)に再建されましたが、地震で大破したものを1598年(慶長3年)に秀吉の母大政所が復元修理しました。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来をはじめとする21体の密教彫像が所狭しと安置されています。これらは、日本最古の本格的な密教彫像です。講堂の諸仏は空海没後の839年(承和6年)に完成していますが、全体の構想は空海によるものです。堂内中央には五仏(五智如来)、堂内向かって右(東方)には五大菩薩、向かって左(西方)には五大明王を安置するほか、堂内の東西端には梵天・帝釈天像、壇上四隅には四天王像を安置します。これら21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は後世の補作に代わっており、残りの15体が国宝に指定されています(五仏は重要文化財に指定)。講堂の北にある食堂(じきどう)は、空海没後、9世紀末から10世紀初めにかけて完成しました。1930年(昭和5年)の火災で焼失し、現在の建物はその後の再建。本尊の千手観音立像は火災で焼損しましたが、1960年代に修理され、現在は寺内の宝物館に安置されています。

現在においても空海の存在は大きく、「生身供」(しょうじんく、空海が今も生きているがごとく、毎朝食事を捧げる儀式)や「御影供」(みえく、毎月21日の空海の命日に供養を行う)などの儀式が執り行われており、毎月21日の御影供の日には東寺境内に骨董市が立ち「弘法市」「弘法さん」として親しまれています。

アクセス

〒601-8473  京都市南区九条町1

TEL (075)691-3325

近鉄京都線「東寺駅」下車徒歩10分

駐車場  境内北側に専用駐車場有

拝観時間  9:00~16:30

拝観料金  : 境内と御影堂は自由。金堂・講堂の拝観は500円

詳しい内容は公式ホームページをご覧下さい

東寺のホームページ  : http://www.toji.or.jp/

上記内容は2005年1月に取材したときのものです

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