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豊国神社は七条大和大路通りを北50にメートルほど行ったところにあります。周辺には三十三間堂、京都国立博物館などの観光施設や、ハイアットリージェンシーホテルや東山閣などの宿泊施設などがあり、京都観光するのに利便性の高い場所にあります。

   豊国神社の歴史

唐門は外観も迫力があるが、細工も目を見張るものがある

豊国神社唐門

豊国神社の祭神は豊臣秀吉で、かつては別格官幣社でした。秀吉は貧農から身を起こして織田信長に見出され、太政大臣までになった来歴は、ここで説明する必要のないくらい有名です。秀吉は慶長3年8月に伏見城で亡くなりましたが、その遺骸は東山阿弼陀ケ峰に埋葬し、祠をその麓に建てました。廟所は秀吉の死後間もなく着工されましたが、着工時はまだ秀吉の死は伏せられていたため「大仏の鎮守社」と称していました。秀吉は自身を「新八幡」として祀るように遺言したといわれ、社は秀吉の死が明らかになるのに合わせるように「新八幡社」と呼ばれるようになます。1599年(慶長4年)4月16日、朝廷から秀吉自身の望みとは相違して「豊国乃大明神」の神号が与えられます。これは日本の古名である「豊葦原中津国」を由来としますが、豊臣の姓をも意識したものです。4月18日に遷宮の儀が行われ、社は「豊国神社」と命名されました。関ヶ原の戦いを経て、大坂冬の陣・夏の陣の結果、豊臣家が滅亡すると、徳川家康は阿弼陀ケ峰の社殿を毀ち、秀吉の遺骨をいずれかに持ち去り、廃棄してしまったので、未だにその行方が判明していません。高台寺には秀吉の妻、おねの遺骨はありますが、その横にある秀吉の墓所には遺骨はありません。徳川家は祭祀を明治になるまで許しませんでした。

唐門と本殿の間には舞殿がある

豊国神社舞殿

明治元年になり、有志の人たちが秀吉の偉勲を追賞し、方広寺大仏殿の跡地に社殿を再興したのが当社になります。建築物は目を見張るものがあり、本殿正面の唐門は、入母屋造・前後唐破風付・檜皮茸の四脚唐門で、豊国大明神の勅額は後陽成天皇の宸筆になります。この門はもと南禅寺金地院より移建した伏見城の旧構で、中央に巨大な桐唐草の蛙股を置き、欄間・扉その他到るところに彫刻が施され、よく桃山時代の特色を現わしています。西本願寺・大徳寺の唐門と共に国宝三唐門とされています。その両脇にある六角型石灯籠は秀吉恩顧の諸大名が奉献したもので、本殿内左右にある鉄橙籠は、三條釜座の辻輿二郎が慶長五年に鋳造したものです。

  豊国神社の散策
国家安康・君臣豊欒

「国家安康・君臣豊欒」の銘は分かりやすく強調されている

豊国神社は、神社北にある方広寺大仏殿の跡地に社殿があります。現在方広寺は本堂や有名な「国家安康・君臣豊欒」の銘文がある鐘楼などがあるだけですが、創建当時は非常に広い寺域を有し、奈良東大寺の大仏殿を模して造られた創建当初の大仏は大像で高さ六丈三尺、奈良の大仏より遥かに大きく、当時描かれた洛中洛外図を見ると、その大きさが伺い知れます。その跡地に創建された豊国神社も広い寺域を有していますが、本殿正面の唐門から入り、本殿の遙拝所は歩いて直ぐにあります。そして遙拝所から本殿までは結構な距離があり、これまで訪れた神社の中で、一番距離があったと思います。その為肝心の本殿は遠くから見るだけで、子細な様子は分かりません。しかしその威容は遠くから見ても感じ取ることができ、一見の価値があります。建造物も唐門と本殿以外で見るところは余りなく、本殿右にある宝物館が時間を使って見学する施設になります。その宝物館には、狩野内膳筆、紙本著色、豊国祭図六曲屏風一双及び秀吉、秀頼の文書、器物等多数を蔵し、当時の様子をうかがい知ることが出来ます。

方広寺大仏殿は広大であったことは跡地の石垣を見ると分かる

豊国神社石垣

豊国神社北には方広寺があります。方広寺は、秀吉が奈良東大寺の大仏に倣い、京都にそれを上回る大仏を建立しようとして設立された寺院です。東大寺大仏を上回るものを建立しようとしましたが、それを制作するには莫大な金属が必要で、必要な量が確保出来ませんでした。そこで秀吉は苦肉の策として、庶民に対し「秘匿している刀剣類を大仏建立のために供出せよ。そうすれば極楽浄土に行ける。」と解きました。しかしそれに素直に応ずる者はないので、秀吉は仕方なく木造の大仏を建立しました。しかし慶長元年の大地震に倒壊し、秀吉の死後、秀頼はその遺志を継いで再興に努めましたが、その後累時の災害に罷って寺運は次第に衰微し、今は僅かに本堂、鐘楼等を有するにすぎません。現在、本堂に安置する半身の大仏は、天保十四年に尾張国の有志者の寄附によります。境内鐘楼に架かる銅鐘は、慶長十九年大仏開眼供養の時に造られたもので、高さ一丈五尺、径九尺二寸、厚九寸二分、重量二万二千貫目といわれています。この鐘の銘文「国家安康・君臣豊欒」の句は家康を呪うものだとこじつけ、遂に大阪の陣の因をなすに至ったのは有名です。

豊国神社へのアクセス

〒605-0931  京都市東山区大和大路通り正面茶屋町530

TEL (075)561-3802

京都市バス博物館三十三間堂前下車徒歩約5分

駐車場  : 有り(普通乗用車)

拝観時間  : 9:00~16:30

拝観料金  : 無料

宝物館入館料金  : 大人 300円

公式ホームページはありません

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観光地: 清水寺 東福寺 泉涌寺 三十三間堂

宿泊施設: ハイアットリージェンシー京都 ホテルりょうぜん ホテル秀峰閣 ホテル東山閣