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有楽町は京都最大の歓楽街祇園の中にありますが、正式な住所表記では無く、本来は「祇園町南側」になります。そのため地図を頼りに訪れても、たどり着くが出来ません。有楽町には料亭が多くあり、少し歩くと舞子芸妓が芸事を習得する、祇園甲部歌舞練場があります。

   有楽町の歴史

有樂稲荷大明神は注意していないと見過ごしてしまう

有樂稲荷大明神

有楽町は四条通りから花見小路を南に下がり、青柳小路を東に入って、東松竹通り周辺を差します。正式な住所表記でないために、町の正確な範囲が決まっていません。道を歩く人に尋ねても、「この周辺一帯」といった漠然とした返事しか帰ってきません。では何故有楽町という町名が付いているかというと、町の中心と憶えしき場所に「有樂稲荷大明神」があるからです。この稲荷神社は住宅一軒ほどの間口で、奥行きは自動車二台分ぐらいしかありません。その為、注意していないと簡単に見落としてしまいます。この小さな稲荷神社に祀られているのは、織田信長の弟である織田長益で、天正18年(1590年)、秀吉の御伽衆として摂津国島下郡味舌2,000石を領した頃、剃髪して有樂齋如庵と称するようになりました。本能寺の変のあと、長益は秀吉と家康との間を取り持つように動いていました。

有樂稲荷大明神周辺には、多くの料亭が軒を並べている。

有楽町

秀吉の死後も豊臣家に出仕を続けましたが、大坂夏の陣を前にして、家康に「誰も自分の下知を聞かず、もはや城内にいても無意味」と許可を得て豊臣家から離れました。豊臣家に仕えていた頃に、建仁寺の塔頭正伝院を再興し、院内に如庵を設けました。大坂退去後は京都に隠棲しました。若い頃、千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられています。後には自ら茶道有楽流を創始し、隠棲後は茶の道に明け暮れました。正伝院を再興して、晩年如庵で茶の道に明け暮れたことが縁となり、この地の人々が有樂齋を敬うようになり、神社が建てられて祀られるようになりました。なお有樂齋の墓は、有樂稲荷大明神から西に歩いて約5分にある正伝永源院に妻や長好らと共にあります。但し、正伝永源院は原則非公開です。

  有楽町の散策
正伝永源院

正伝永源院の門から織田有樂齋の墓が少しだけ見える

有樂稲荷大明神は、先に書いた通り神域はとても狭く、散策するといっても少し中を拝見するといった感じで、あっという間に終わります。片流れ屋根の祠も小さく、電灯が無いので詳しい様子が分かりません。通りに面した鳥居に掲げられている扁額には「正一位有樂稲荷大明神」とあります。横にある灯籠には、「有楽町町内会」とあり、行政上にはない町内会の表記に、不思議な感じを持ちます。有樂稲荷大明神を離れ、周囲を散策すると、有名・無名を問わず沢山の料亭があります。祇園町の中にあるので、当然と言えば当然なのですが、店の名前を見ていくとガイドブックに掲載されたことがないと思われる店が数多くあり、こういったところにも京都の奥深さが表れているように感じます。

有楽町へのアクセス

京阪四条駅より歩いて5分

周辺の観光・宿泊

観光地: 祇園 木屋町 建仁寺 六波羅蜜寺 八坂

宿泊施設: 舞風館 ぎおん畑中 ギオン福住 料理旅館花楽