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八坂は京都観光で最も人の集まる地域で、清水寺を筆頭に八坂神社や高台寺など多くの寺院や神社、高級料亭が建ち並ぶ所です。日本人のみならず、多くの外国人観光客も多数訪れ、京都観光のメインスポットになっています。町並みも京都を思い浮かべるときに想像される景観が広がり、観光ポスターやテレビや映画の舞台にもなっています。しかしこの周辺は江戸期以前は洛外で、葬送の地であり、関東に下る人と別れを告げる場所でもありました。

八坂の塔こと法観寺は地域のランドマーク

八坂の塔 法観寺

   八坂の歴史

この地が八坂と言われるようになったのは、京都に都が移される前のことです。朝鮮半島から大陸文化を日本にもたらした氏族に、八坂氏がいます。『山背国愛宕郡計帳』に八坂氏の氏名が残っていて、平安時代初期にできた『新撰姓氏録』には、八坂氏が「山城国諸蕃」として載っています。朝鮮半島から大陸文化をもたらした渡来系氏族で、同族と思われる八坂馬養造という氏族がいました。名前が示す通り、馬を飼うことに長けた氏族と察せられ、先祖は中国東北部のモンゴル系の出身かと思われます。その氏族の流れが朝鮮半島を経由して、日本に渡り住んだと推測されます。しかし大陸にいるときから氏名に「八坂」の文字を当てていたかは分かりませんが、ひょっとしたら「ヤーサカ」と発音する氏名で、日本に移り住んだときに、「八坂」の文字を当てたのかもしれません。この氏族は、奈良期にはこの地に住んでいたと推測されていて、その後京都に都が移ってからは、朝廷に仕えるようになり、居住する場所が京都西部に変わりました。その名残として右馬寮町、左馬寮町の町名が残っています。これは京都西部に同じ渡来人である秦河勝が、住んでいたことが影響しているのかもしれません。しかし他にも「八坂」に関しては説があります。一番有名なのは、清水坂や三年坂や霊山坂など、ここに八つの坂道があるのから、というもので、テレビなどではこれがよく用いられています。他には八坂はもともと弥栄と書き、「ヤ」は坂にかかるいわばほめ言葉で、とっても住みやすい坂の場所、といった言葉になります。他にはこの地はかつて葬送後で、平安時代には鳥辺野という茶毘所がありました。そのため霊を「安らか」に慰めるために祈りを捧げました。その「ヤスラカ」が「ヤサカ」に変化したとの説もあります。それぞれに説得力があり、これといった決め手がありませんが、現在では渡来人の八坂氏から来たのが有力な説となっています。

  八坂の散策
八坂神社 正門

八坂神社は神仏習合の名残が濃い

八坂は範囲が広く、しかも観光名所が多く散在しますので、一日中歩いても回り切れません。北から順に巡ってみます。八坂の範囲も確定されている訳ではなく、北は八坂神社、南は五条坂までとします。 八坂神社を歩いてみると、他の有名な神社に比べてやはり坂が多いことに気付きます。東山通りに面している西門から入ってから本殿に向かう参道も、わずかながらも緩やかに登り坂になっています。神社北側にある円山公園も、全体的に西から東に向かって登り坂になっています。それがよく分かるのが、八坂神社正門を出て大谷廟の前に立つとよく分かります。そこから南に歩いて行くと、石塀小路があります。ここは比較的平坦な観光地で、見て回る範囲が狭いために、余り疲れを感じることはありません。 元は圓徳院の敷地を一部削って出来たので、坂が見当たらないのはそのせいだと思われます。圓徳院を抜けると、高台寺があります。高台寺は東山の斜面を利用して、境内の建物に高低差を付け、回遊しやすいように工夫してあります。北政所の墓所である霊屋は、開山堂から臥龍廊が渡してあり、秀吉と北政所の墓前に向かうには、上段に登らないといけない、という設計になっています。但し、秀吉の骨は家康の命で行方不明となっています。それと臥龍廊は痛みが酷く、これを渡ることは出来ません。高台寺はここ以外にも斜面を利用した工夫が為されていて、広いことも相まって少し見学が終わった後に疲れを覚えます。

八坂庚申堂

庚申堂には屋根にも猿の瓦がある

次は法観寺を目指します。法観寺は建築規制のため背の高い建物がない東山にあって、唯一と言っていいほどの高層建築物になっています。その為、法観寺が地域のランドマークタワーとなっています。創建された当初は、広大な敷地を占めていましたが、相次ぐ戦乱で寺域が狭まり、現在の敷地となっていて、寂しい感じがします。創建は聖徳太子であるとされていますが、それは疑問視されていて、歴史の中で触れた八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力です。法観寺に通ずる南からの道路は急な坂になっていて、この地域が坂の町であることを再認識させてくれます。法観寺の前には庚申堂があります。庚申堂は正式には金剛寺で、日本三大庚申のひとつに挙げられています。寺域は狭く、本堂と寺務所があるだけです。本堂には沢山の球形をした人形がぶら下がっていますが、これはくくり猿と言われ、人の欲望を我慢させる象徴としています。更に南に歩いていきましょう。南東方向に行くと清水寺があります。清水寺は金閣寺と並び、京都最大の観光寺院で、季節・曜日を問わず、多くの参拝者で賑わっています。ここも斜面を利用した建築物が配置されていて、広大な敷地も相まって、参拝するには多くの時間と体力が必要となります。いわゆる清水の舞台からは、京都市内が一望でき、歴史上様々な人がここで祈りを捧げたのも頷けます。江戸時代には舞台から飛び降りて、心中を図る事件が数多くありましたが、舞台の下は急勾配の斜面になっていて、飛び降りても衝撃が弱く、死に至る事が少なかったようです。坂の町であることが、おかしなところで役に立っています。

長楽館

長楽館は明治時代の実業家、村井吉兵衛の京都別邸だったのを改装した

清水寺の周囲には、二寧坂や三寧坂、清水坂など観光客目当ての店が建ち並ぶ、有名な坂が幾つもあります。二寧坂や三寧坂の名称が付けられたいわれも諸説あり、これと決まった定説はありません。多くの観光客を引きつける清水寺のお陰で、この辺りのお店はいつも繁盛しています。最後に訪れる五条坂は、清水焼に係わるお店が多数あります。清水焼にも普段使いや飲食店向け、茶道に使う物など、様々な焼き物があり、金額もまちまちです。江戸期まではこの周辺に焼き物を作る登り窯が多数あり、多くの商品を産出していました。そのため、多くの薪を必要としたために、東山一帯は現在と違い、材木が伐採され尽くされていて、この辺りの山々は禿げ山でした。禿げ山でなくなったのは、宅地化が進み、新しく住みだした住民から登り窯の煙に対する苦情が多く寄せられて、次第に窯を潰すようになったため、薪の需要が減ったことが東山が禿げ山でなくなった理由になりました。現在の清水焼は電気釜で生産されていて、出来上がる製品の質も変わってしまったと言われています。

八坂へのアクセス

京阪電車「四条駅」下車  : 徒歩10分

周辺の観光・宿泊

観光地: 八坂神社 石塀小路 青蓮院 清水寺 建仁寺

宿泊施設: 料理旅館 花楽 ギオン福住 京都祇園ホテル
祇園佐の き乃ゑ